ある大学教授の研究ブログを読んでいたら、こんなことが書いてあったんです。
「最も失敗するヒトは、ヒトに与えるヒトである」と。
これだけ聞くと、え、与えたらダメなの?って思いますね。
でも続きがあって、「最も成功するヒトも、ヒトに与えるヒトである」というんですよ。
つまり、成功も失敗も、与えるヒトから生まれるというんですね。
じゃあ何が違うのかというと、自己犠牲して与えるかどうかだというんです。
何でもかんでも自分のことを差しおいて、どうぞどうぞと差し出してしまうヒトは、個人としてもうまくいかないし、組織の中にいてもうまくいかないと。
では最も成功するヒトはどういうヒトかといえば、他者に与えながら、自分にも与えているヒトだということなんですよね。
ギバーにも種類があるよ、ということでしょうか。
これを読んで、ちょっと自分はどうか考えてみたわけ。
ヒトに与えているかどうか。それは受け取り手の問題だから自分ではわからない。
ただ、自分を犠牲にしてまで何かを与えるっていう発想は、ほとんどないです。
例えばヨシノをやっていても、ボクは舞台に立つ側だから、見ている側に比べれば圧倒的にエネルギーを放出しなきゃいけないわけですよ。
しかもヨシノには「おうえんコイン」という仕組みがあって、お金を払わなくても観られるんですよね。
だから与えっぱなしになることだってある。
でも、何度も舞台に立っていると、いろんなことが見えてくるんですね。
セリフをわーっと言いながら、(あの客席のヒト泣いてるわ)、って見えちゃったりする。
それがすごく「おもろい」んですよ。
この「おもろい」って感じられる体験そのものを、ボクはお客さんやスタッフからちゃんともらってるなと思います。
お金という目に見えるものをもらってるわけじゃなくてね。
与える、もらう、というのは結局、本人がどう捉えるかでしかないんですよね。
同じ体験をしても、「こんな少しだけか」と思うヒトもいれば、「こんなにもらった」と思えるヒトもいる。
ボクは舞台で客席のヒトが泣いているのを見て、「おもろい」と感じる。
それをたくさんもらったと思えている。だから与え続けられるのかもしれません。
あの研究が言っていた「成功するギバーは自分にも与えている」というのは、そういうことなんじゃないかと思うんですよ。
ただ、自分がちゃんと受け取れているとして、じゃあ何を、誰に渡すかっていうことも考えないといけないんですよね。
与えるなら、誰に与えるかを選ぶことが必要だと思う。
植物だって、然るべきときに水をあげて、然るべきときに肥料をあげる。
何でもかんでも与えればいいってもんじゃないようにね。
このヒトにはこのくらい、あのヒトにはこのくらいって、見極めていくことも大事かもしれません。
なんでもかんでもヒトにあげたいってヒトって、本当に良いヒトなのかっていう問題もあるわね。
相手にものすごく感謝されることを期待して差し出している、ということはないかしらとか。
自分を犠牲にすることで、相手との関係をつなぎとめようとしている、とか。
そうなってくると、与えているというより、何かの見返りを待っているということになるわけで。
それは自己犠牲とも少し違う、もっとやっかいな話ですよね。
だから与え方もきちんと設計しないといけないんですよ。
自分がちゃんと受け取りながら、与える相手を見極めて、返ってくることは期待しない。
そしてできれば、1対1の関係にしすぎない。
1人のヒトに全部渡そうとするより、なるべく多くのヒトに少しずつ渡せる仕組みを考えた方がいい。
そのほうが、与えることが長続きするんじゃないかと思うんですよね。
天才よち丸ラジオ/vol.628 何でも好きにやってます



