三茶と神戸で秋メニューが始まりました

MAMEHICOの「モンブラン」をぜひどうぞ!

シホとレイナの往復書簡

水野知帆 東京

池田玲菜 神戸

10

2026年10月中旬 金木犀

To.池田玲菜 様
From.水野知帆

東京から神戸へ

この間はお疲れ様でした。
レイナが夜行バスで神戸から東京に来ると聞いて、びっくりしたよ。
新作のモンブランの作り方を教わって、翌日朝イチで神戸へ帰っていくという弾丸スケジュールだったけれど、その後、休めましたか?
ゆっくり話をする時間はなかったけれど、久々にレイナの顔が見れて嬉しかったな。

さて、手紙に書いてあった、10年ぶりの友人との再会。
しかも、それが神戸だったなんて。
そんなことってあるんだなと思いました。

友人を介して、SNSを通じて、家族や学校とはまた違うところで、同年代の人たちとつながっているんだね。
小さなイベントを楽しんだりしている様子を読んで、いいなあと思ったよ。

私は北海道の紋別という田舎町で育ちました。
家族も学校も、とにかくみんな近かった。
私、陸上部だったんだけど、休みの日に外で走っているだけで、「シホ先輩、あそこの道走ってましたよね。お母さんが車から見たそうで」と言われるくらいの狭さ。笑
そういうことが息苦しくて、大学に進学するときに北海道を出ました。

ところが、いざ外へ出てみると、今度は人との関わりがずいぶん薄い。
働き始めてからは特にそう感じるようになりました。
周りの目を気にせずに済むようにはなったけれど、誰もが自分のことで精いっぱいで、他人にあまり関心がない。
気づけば、家と会社を往復するだけの毎日。
そんな人との距離感にも、どこか物足りなさを感じていました。

このままの毎日から抜け出したくて、いろいろ試してみたけれど、当時はコロナ禍で緊急事態宣言が出ていた時期。
人と関わることが難しく、ひとりでできる趣味に没頭するくらいしかありませんでした。

でも、それで毎日が変わったかというと、そうでもない。
もうこれは、新しい人と出会うしかないな。そう思ったときに見つけたのが、MAMEHICOでした。

初めてMAMEHICOに来たとき、こんな場所が東京にあるのかと驚いたことを覚えています。
都会の洗練された空間に、いろんな人が集まっていて、いろんなことをやっている。
イベントに参加したり、そこで会った人と話したりするうちに、少しずつ知り合いが増えていった。

その中に、レイナもいました。
大学を辞めて、カフェで働くことを選んだレイナ。
私の周りにはそういう人がいなかったから、最初はびっくりしたなぁ。
どうしてMAMEHICOを知ったのか、大学を辞めるまでにどんなことがあったのか、コロナ中のお店はどんな様子だったのか。そんな話を聞いたことも覚えているよ。

あの頃は、レイナだけじゃなく、いろんな人と知り合って、それまで自分の周りにはいなかった人たちとも話すようになって。
いろんな人の想いに触れるたび、胸の奥が熱くなって、ドバッと涙が出て止まらなくなることもある。笑
そうやって人と出会い、話を聞いたり、一緒に何かをしたりするうちに、あの頃の「なんだかなあ」という毎日から、少しずつ抜け出していったんだと思う。

今もMAMEHICOではいろんなことが起こっているし、思いがけない人とまた会えたりする。
10年前に出会った友人と、今になって神戸で再会するレイナ。
そして、あの頃に知り合った私たちが、今こうして往復書簡をしている。
当時は、こんなことになるとは思ってもみなかったね。笑

とめどなくなってしまいました。
レイナの話も、またゆっくり聞かせてね。
お返事、お待ちしています。

東京から神戸へ

To.水野知帆 様
From.池田玲菜

神戸から東京へ

シホちゃんへ
お手紙ありがとうございます。

今月は、モンブランの作り方を教わりに行ったり、銀座の新しい企画「MAMEHICO Acoustic Live」に参加したり、面白RADIOの収録があったりと、東京に2回も行きました。
今月は2回も会っているので、こうして手紙を書くのがなんだか不思議な感じです。笑

シホちゃんのお手紙を読んで、育った環境はずいぶん違うのに、MAMEHICOに求めていたものには共通するところがあるんだなと思いました。

シホちゃんは、紋別で人との近さやその煩わしさから逃れるように、遠くへ出た。
でも、東京に出てきてみたら、それはそれで、人との関わりが薄いことにもしっくりこなかった。

私はずっと東京で育って、親も共働きで、ご近所付き合いも少なく、寂しさの中を過ごしてきました。
だからこそ、MAMEHICOという都会の真ん中にあるカフェで、たまたま居合わせた人同士が同じテーブルを囲んだり、一緒に舞台や映画を作ったりしていることに、強烈に興味を持ったのだと思います。

人との距離が近すぎても遠すぎても、なんだかしっくりこない。
私たちはそれぞれの経験から、人とのちょうどいい距離感や、なんとなくの居心地のよさを探していたのかもしれませんね。

MAMEHICOで感じた、こうした距離感や居心地のよさは、どうやって生まれたんだろう。どうやって作っているんだろう。
そんなことに興味を持って働くようになりました。

そして、働くようになってわかったことがいくつかあります。
まず、人とのちょうどいい距離に、決まった正解はないということです。

「こんな関係が理想」という形を、あらかじめ決めておくことはできません。
相手や状況によっても変わるものだから、常に人と人との「間合い」を読むということなんだと感じています。

そのためには、「考え続ける胆力」が必要なんだなとも学びました。
働き始めるまでは、「井川メソッド」のようなものがあるんだろうなと思っていたんです。笑
今思うと、こういう思い込みは、その頃の自分の経験不足や若さ、「正解病」やコスパ・タイパ思考の表れだったんですね。

実際には、井川さんのやることは何でも成功しているわけではありませんでした。
やってみて、うまくいかなければ撤回して、また挑戦する。
その繰り返しがMAMEHICOという場所を作っているんだとわかりました。

人との関係も、店の方針も、まずは行動してみる。
違っていたら柔軟に変えて、また行動する。
終わりはなく、そうやって歩み続けてきたMAMEHICOだからこそ、私たちはここを「居心地が良い」と感じることができるんだろうなと思います。

人との間合いについて考えているうちに、ふと、自分が子どもの頃に感じていた寂しさのことを思い出しました。
その寂しさの原因を「〇〇のせいだ」と探そうとすれば、いくらでも挙げることができます。
親に構ってもらう時間が少なかったこと、都会で地域コミュニティが失われつつあること、学歴を競う社会の中にいたこと。いろいろな環境の問題があったと思います。

でも、そうした環境の問題はいったん脇に置いて、自分自身の行動を振り返ると、人への思いやりがとても足りていなかったのではないかと思ったのです。

私は、人との間合いを読むということを、ほとんどしてこなかった。
学生時代の私は、自分の寂しさを埋めることにエネルギーを注いでいました。
勉強やバイオリンの練習をしたり、アニメやYouTubeを楽しんだり。
自分のことで精いっぱいで、周りの人への興味がなかったんですね。

あの頃の私が、ほんの少しでも周りの人に笑顔で話しかけたり、誰にでも自分から挨拶したりすることができていたら、学生時代はもっと楽しかっただろうなぁと、今は思います。

結局、何か大きな、自分以外のことのせいにして、自分にできる小さな変化について考えない。行動も起こさない。
そういうことが、自分の寂しさや孤独の正体なのかもしれないなと思うんです。

人とのちょうどいい距離って、きっと一度見つけたら終わり、というものではないんですよね。
そのときどきで考えながら、少しずつ場所を作っていく。
難しいけれど少しずつ意識して、今週も神戸でやっていこうと思います。

シホちゃんの考えの変化や、嬉しいこと、悲しいこと。
また聞かせてくださいね。待ってます。

神戸から東京へ