居ることのできる場所
病気を潜り抜けて新しくたどり着いた場所で、私は病や障害を抱える人たちと毎日を過ごしている。
私の仕事は、世間一般的な言葉で言うと、「障害者就労継続支援事業B型支援員」というもので、主な業務内容は、障害者の人が職業訓練をするのをサポートすることだ。
しかし、「障害者を助ける仕事」というざっくりした分類の言葉は自分にとって違和感がある。
私の感覚としては、自分の役割は「障害や病気を持った人たちとただ毎日一緒に過ごしている」のが仕事だと思っている。
ただ一緒に過ごすということ
私は彼らより力があるわけではないし、いつも彼らのことを助けられるわけではない。
むしろ当事者と一緒につくっている本屋の仕事においては、不器用な私が苦手な本のカバー掛けを手伝ってもらったり、本の入った重い段ボール箱を運んでもらったりと、助けてもらっている場面のほうが多い。
そのうえで、私は自分が毎日行っている「彼らと一緒に過ごす」ということを、大切なことだと思っている。
病の渦中にある人たちにとって、他者の存在を感じられることこそが、生きる力を得ることにつながると思うからだ。

がん闘病中、私が孤独な時間を過ごしていたことは以前にも書いた。
家族と病院関係者以外の誰にも会わず、家と病院にしか行かない生活だった。
何か有用なことをしようとしても、具合が悪いので、何もできずむなしく寝転がって天井を眺めている時間が長い。
焦燥感と独りよがりの考えだけがテトリスのように頭の中に積み上がっていく日々だった。
人がいる、それだけで
私は、引きこもりの人たちの生活はこれに近いものなのではないかなと思う。
安閑と引きこもっていられる人というのは、実はそんなに多くないのではないか。
むしろ引きこもりと呼ばれる人たちの多くは、外に出たい、出たくない、出なければというさまざまな葛藤の中で引き裂かれて、孤独感と罪悪感に押しつぶされてへとへとになっているのではないか。
私が働いている場所には、もと引きこもりの人たちも訪れる。
周りと積極的に話をする人もいれば、ひとりで本を読んでいる人もいる。
話をしなければコミュニティスペースなんかに来る意味がないのではないかと思うかもしれないが、彼らが言うには、「周りに人がいる」ということが大事なのだという。
いつも行く場所に行って、いつも会う人の顔を見る。
見知った人たちが、自分のそばで、めいめい、てんで好き勝手にしゃべったり動いたりしている。
そのことが、彼らの孤独を和らげてくれるらしい。
一般社会の中で「居」られなくなってしまった彼らがこの場所に「居」ることができるのは、集う人たちを結ぶ関係性が風通しのよいものだからではないかと思う。

ここにいる人たちは、この場所を訪れる人が何かしら具合の悪いところを抱えているのをわかっているから、相手が多少奇矯な振る舞いをしたところでその背景を深く詮索しようとはしないし、その人を常識に当てはめて咎めたりしない。
変に注目されないので、みんな自然体で言いたいことを言って、寝たければ寝て、食べたければ食べている。
自分が許容されるだけではなく、共にいる人のことも許容する。
つくろうともまとめようともせず、ただ共にいるというだけで形成されるゆるいコミュニティの在り方が、場ごとに細かく存在の仕方を規定されて、そこに見合わない者は排除される社会で息苦しい思いをしてきた人たちにとっては心地がいいのかもしれない。
独りぼっちにならない場所
姿勢は違うかもしれないけれど、この「共にいる」ことに対するまなざしが、私たちの事業所とMAMEHICOに共通しているものだと思う。
MAMEHICOの「信条と理念」を見ると、人とのかかわり方に関する言葉が多いことに気づく。
一緒に食べる。素直であろう。干渉するけど監視しない。
都会のカフェでは、周囲に人がいることがそれほど重要なことに思えないことがほとんどである。
カフェに対して人と交流するための場だというイメージを抱いている人は少ないだろう。
小腹が空いたときに何かを腹に入れにいく場所であり、ちょっと気分を変えたいときに出向く場所であり、たまの休日にコーヒーでも飲んで羽を伸ばすための場所だ。
おしゃべり相手である親しい知人を除いて、その時間に他者が入り込む余地はない。
そんな場を、MAMEHICOは見知らぬ他者と出会う場にしようとしてきたように見える。

私は以前オーナーの井川さんと話したときに、「ボクはMAMEHICOを普通の人たちのための場所にしたいと思ってる」と言われた。
病者が底抜けの孤独を感じているように、都会の普通の人たちもいやしがたい孤独を感じているのだと思う。
それはどちらの方が深刻かという話ではなく、人はめいめい他者にとっては計り知れない陰影を抱えて生きていかなくてはならないということだろう。
井川さんは、これまでに出会ってきた孤独な普通の人たちを思って、私たちは、私たちの身の回りにいる生きにくさを抱える人たちを思って、彼らが独りぼっちにならなくて済む場所と仕組みを日々つくっている。
まず、他者と出会って共にいること、そこから一人の人の人生を、ひいては世の中をよくする取り組みが始まっているように思う。



コメント 0
コメントを投稿するには ログイン してください。