もう一度、社会に出る
結局、抗がん剤治療には当初予定されていた期間の4倍を要した。治療の途中で転移性肝腫瘍を指摘されたときには、今までの苦しい治療は何だったんだ、という途方に暮れた気持ちになった。
その時点から薬剤を変更して、さらに12回の抗がん剤投与を受けることになった。ようやく第1クールの治療が終わりかけていたところだったので、また一から同じ行程をたどりなおさなければならないと思うと、頭がくらくらした。それでも、転移性肝がんの5年後生存率が著しく低いのを見ると、治療を拒否する気にもなれないのだった。
社会復帰することになったのは、ガンと診断されてからちょうど2年経った頃だった。
戻ってきたけれど…
参ったのは、2年も休んでいる間に、自分が担当していた仕事をほとんど他のメンバーが担ってくれたため、帰ってきてもやることがないということだった。
当時自分が従事していたのは、幾分か属人的な要素のある仕事で、一人が責任を持って一部署を担当するようなものだったので、仕事の分担の仕方が、職員同士の間でも、職場の方針としても、あまり定まっていないのだった。
さらに、もともと扱いづらく、2年のブランクがあって仕事の感覚も鈍っている自分に、重要な仕事をふることは、上司にとっても難しかったのだと思う。

まだちっとも本調子でない体を引きずって職場に来ながら、何をすればよいのかと迷い、机の前に座っている状況が続いた。「これではまずいのではないか」という思いが、だんだん頭をもたげてきた。
せっかく厳しい治療を経て社会生活の場に戻ってきたのだから、何か世の中にとって意味のあることをやりたい。自分にとって、これまでの職場がその舞台だとは、どうも思えなくなっていた。
「街場の文化」に出会う
そんなとき、インターネット上でふと、近所で「読書会」を開催しているという投稿を目にした。2年間、家族と病院関係者以外の誰とも会わずに過ごしたので、人恋しさもあり、参加してみようと思った。治療期間中、本ばかり読んで過ごしていたので、本についてなら話すことは山ほどあった。
何度か通っているうちに、読書会の開催場所が移行した。奇しくも、実家のすぐ近くに最近できたコミュニティスペースが新しい会場だった。
その場所に足を踏み入れた時、なんだかとてつもなく懐かしい気分になった。初めて来た場所なのに、この覚えのある親しみはなんだろう。
MAMEHICOに似ている、と、私は直観的に感じた。
もちろん、ここはカフェではないし、東京でもない。ド田舎の畳敷きの古民家だ。私がMAMEHICOでまず惹かれたような洗練されたおしゃれさは皆無だし、どちらかというと雑然としている。それなのに、なぜその場所に「MAMEHICOっぽさ」を感じたのか。

振り返ってみると、それは、その場にいる人が心から場の一員であると感じられ、そのことに対して安心できるような、密度の高い、それでいて風通しのいいコミュニティづくりができているところではないかと思う。
また、「街場の文化」を実現しようとしているところも、共通点かもしれない。気取った、高みから与えられる「芸術」ではなく、自分たちが主体的に関わることができて、参加することで文化的な場を成立させるような取り組み。
「ゲーテ先生」の会場で感じていたそのような文化活動のあり方が、生まれ育ったその土地で行われていることは、地元をつまらない場所だと思い込んでいた自分にとって、嬉しい驚きだった。
思いがけず、人生が動き出した
読書会が開かれる度にその場所に足を運んでいるうちに、場にかかわる人たちとも徐々に交流するようになった。私は職員の人たちにMAMEHICOで行われているお芝居について話したり、ラジオの配信を勧めたりした。なんとなく、この場所が、地方における「MAMEHICO的なる場」になりそうな気がしたのだ。
そうこうしているうちに、いよいよ職場での立場がなくなり、仕事をやめることを決心した。ガンと診断された夜、病院で点滴につながれながら天井を眺めているときに、強烈に「これまでの人生がもったいなかったな」と感じたことを思い出した。
もし無事にこの後も人生を送ることができるのだとしたら、もうどうしようもない力に打ちのめされているだけでは嫌だ。大きい力ではなくとも、輝く才能ではなくとも、自分にだって、何か世の中のためにできることがあるはずだ。今度こそ、そのことを追求したい。そのとき、そう思ったのだった。
それまで自分の判断で物事を決めたことがほとんどなかったので、決断して実行するということは恐ろしかったが、親と職場にも伝えて、承諾を得ることができた。

仕事をやめたことについて、読書会で話をした日、コミュニティスペースの運営者から、業務を拡大しようと思っているので職員を募集している、と声をかけられた。冗談のつもりで、「働かせてくださいよ~」と言ったら、「村田さんに来てもらいたいと思ってたんです」と言われた。
そんな感じであっさりと、私はひそかに「地元のMAMEHICO」と感じていた場で働くことになった。それまでの人生が、大きく方向転換をした瞬間だった。



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