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もう一度、身体を育てる

いよいよリハビリの始まりです。「リハビリ」と聞くと、前向きなイメージを持つ方も多いかもしれません。希望に満ちた感じがしますが(笑)、実際の私は、そんなに格好いいものではありませんでした。

不安だらけ。この先、自分はどうなるのか。元の生活に戻れるのか。そもそも、戻れる場所があるのか。そんなことばかり考えていました。生き残ったことへの申し訳なさを感じたこともあります。「なぜ自分は助かったんだろう」そんなふうに考えてしまうこともありました。

ここから先は、記憶もかなりはっきりしています。だからこそ、起きた出来事だけではなく、その時に自分が何を感じていたのかも書いていきたいと思います。もちろん、これはあくまで私自身の経験です。同じ病気でも、症状や回復の過程は人それぞれです。私よりずっと努力しても、思うような回復が得られない方もいらっしゃいます。私は本当に運が良かった。今でもそう思っています。

生き残った、その先で

最初の一週間ほどは、本当に何もできませんでした。寝る。天井を見る。それだけです。点滴につながれて、オムツをしている状態。自分でできることは、ほとんどありませんでした。そうです。暇なんです(笑)。もちろん笑い話ではありません。でも、本当に暇なんです。家族が医師から、「今後三日が峠です」と言われていたことなど、当時の私は知りません。

私はただ、「ああ、生き残ったんだな」という事実を少しずつ理解しているだけでした。でも夜になると、いろいろ考えてしまいます。「この状態が一生続くのだろうか」食事もできない。一人でトイレにも行けない。お腹に力が入らないため、大便さえ自分ではできません。それまで当たり前にしていたことが、何一つできない。このまま戻らないのなら、「死にたい」と思ったこともありました。

そんなある日、病室へ看護師さんたちが入ってきました。
「お部屋を移動しますね。」
この頃には、滑舌はまだまだ悪かったものの、なんとか言葉は伝えられるようになっていました。私は必死に聞きます。
「おおいいうんえいか?」(どこに行くんですか?)
すると看護師さんが笑顔で言いました。
「今日から一般病棟ですよ。」
その瞬間。本当に嬉しかったです。やっとです。やっっっと一般病棟へ移れることになりました。しかも、大部屋が空いていなかったため、病院側の都合で個室へ。料金は一般病棟と同じ。これは正直、「ラッキー!!」と思いました(笑)。

でも、一番嬉しかったのは個室になったことではありません。一般病棟へ移れる。それはつまり、少なくとも私は、すぐには死なない。そう思えたことでした。倒れてから初めて、少しだけ未来のことを考えられるようになった気がします。

右半身は、生まれたての赤ちゃん

一般病棟へ移って間もなく、リハビリの先生方から説明を受けました。担当してくださるのは、PT(理学療法士)、OT(作業療法士)、ST(言語聴覚士)、それぞれ専門の先生がついてくださいました。

その時の私は、「時間が経てば、少しずつ元に戻るんだろう」そんなふうに考えていました。首も動くようになってきていました。身体にも少しずつ力が戻ってきている感じがありました。だから勝手に、「いつか元通りになる」と思っていたんです。

でも、先生の言葉で現実を知ることになります。
「脳出血で傷ついた部分は、元には戻りません」
……。頭が真っ白になりました。私は恐る恐る聞きました。
「じゃあ……回復しないんですか?」
先生は答えました。
「傷ついた部分そのものは戻りません」

終わった。その時、本気でそう思いました。もう以前の自分には戻れない。そう宣告されたような気持ちでした。でも、先生は続けました。
「人間の脳には、まだ使われていない部分があります」
「そこに新しく覚えさせることで、失われた機能を補うことができるんです」

正直、その時は半信半疑でした。そんなことできるの?びっしり書かれたノートの隅っこに、あとから書き足すような感じで大丈夫なの?そんなことを思っていました(笑)。すると先生は、こう言いました。

「今の宮道さんの右半身は、生まれたての赤ちゃんなんです」
「だから、一から丁寧に教えていきましょう」
この言葉は、今でも私の支えになっています。

なるほど。失ったものを取り戻すのではなく、もう一度、覚え直すんだ。そう考えられるようになりました。もちろん、この赤ちゃんはなかなか手強いです(笑)。覚えても、使わなければ忘れてしまう。一年使わなければ、また寝たきりになる可能性もある。つまり、「リハビリは一生続く」ということでした。

不思議と絶望はありませんでした。むしろ、「続ければ、歩けるようになるかもしれない」初めて、そう思えたんです。病気になる前の私は、努力すれば結果が出る。そんなふうに考えていました。でも、この時から少し考え方が変わりました。努力しても、必ず思い通りになるとは限らない。でも、やらなければ何も変わらない。だったら、やるしかない。

私はもう一度、自分の身体と向き合うことを決めました。生まれたての赤ちゃんになった右半身と、一緒に。ここから私の、本当のリハビリ生活が始まります。

思うように動かない身体

最初に始まったのはPTさんのリハビリです。立つ。歩く。身体の大きな動きを取り戻す練習です。リハビリ室には、多くの患者さんがいました。そのほとんどが年配の方。聞けば、私の年齢でこの病気になるのは珍しいそうです。ちなみに当時の血圧は、上が190。下が120。そりゃ倒れます(笑)。でも、そんな私より人生の先輩方が必死にリハビリをしている姿を見る。それだけで励まされました。

最初の練習は膝立ちでした。椅子の上で膝立ちをして、左右へ身体を動かす。たったそれだけ。でも、私には大仕事でした。右足が動かない。身体の感覚が分からない。自分の身体なのに、自分のものではないようでした。4往復するだけで30分以上。終わる頃には汗だくです。

続いてOTさん。こちらは手や指のリハビリです。手を握る。開く。ただそれだけなのに、できません。親指は少し動く。でも小指が動かない。同じ手についている指なのに、こんなにも遠いのかと思いました。電気刺激も使いながら、「こう動くんだよ」と脳へ教えていきます。そこからしばらくは、小指との戦いでした(笑)。

そして、待ちに待った食事です。一週間ぶりでした。食べることが好きな私にとって、「生きていて良かった」と思える瞬間でした。…ただ、出てきたのは重湯。味はほとんどありません。でも、口を開く。飲み込む。身体へ入れる。そんな当たり前のことが、こんなにも難しい。一口一口が練習でした。でも確かに、生きている実感がありました。

大きな不安、小さな希望

私は風呂場で倒れました。つまり、全裸です(笑)。病院に運ばれた時、もちろん何も持っていません。スマホもない。財布もない。着替えもない。自分がどこにいて、これからどうなるのかも分からない。当時はコロナ禍の真っ最中でした。面会は禁止。家族にも会えません。完全に一人でした。今思えば、よく耐えたなと思います(笑)。でも、あの時の私には、考える余裕もありませんでした。目の前にあるのは、「今日、身体を少しでも動かせるようになるか」それだけでした。

昼間は、ひたすらリハビリです。立つ練習。歩く練習。手を動かす練習。できないことばかりでした。昨日できなかったことが、今日もできない。でも、たまに小さな変化があります。昨日より少しだけ足が動く。指がほんの少し反応する。言葉が少し出やすくなる。周りから見れば、本当に小さな変化です。でも私にとっては、大きな一歩でした。「まだ戻れるかもしれない」そう思える瞬間でした。

ただ、夜になると別の不安が襲ってきます。暗い病棟の中で、別の病室から声が聞こえてきました。自分が誰なのか分からなくなってしまった人。一日中、声を出し続けている人。その声を聞きながら、「自分もこうなってしまうのだろうか」そんな怖さを感じていました。生き残った。でも、ただ命が残っただけになってしまわないだろうか。以前のように笑ったり、好きなことをしたり、誰かと楽しく話したり。そんな普通の日常には戻れないのではないか。そんなことばかり考えていました。

でも、リハビリの先生たちは言いました。「昨日より少し動いていますよ」「ここまでできるようになりましたね」その言葉に何度も救われました。失ったものばかりを見ていた私に、「できるようになったこと」を教えてくれたのです。身体はすぐには戻らない。でも、やった分だけ少しずつ変化する。それは、人生でも同じなのかもしれません。

不安と期待。その両方を抱えながら、私は少しずつ、自分の身体と向き合うようになりました。そしてここから、私の本当のリハビリ生活が始まったのです。

(つづく)