自分の人生を、自分らしく
退院して、自宅での暮らしが始まりました。
家に帰れば何でもできる、というわけにはいきません。
膝を曲げられないので、ソファから立ち上がるにも何かにつかまらないといけない。
以前なら何も考えずにできていたことが、一つひとつ大仕事でした。
それでも、家の中ではなるべく装具や杖を使わずに過ごしました。
自分の身体を使わないと、いつまでもできるようにならないと思ったからです。
そうして、少しずつ、できることが増えていきました。
長い付き合いのなかで
退院して一週間ほど経った頃、20年来の付き合いになる写真仲間の女性二人から連絡がありました。
「退院したんでしょ? 昔よく撮影に行った場所を三人で巡らない?」
二人とは、彼女たちが中学生の頃に知り合いました。
今では二人とも結婚し、それぞれ好きな仕事をしています。
幸せそうな姿を見ると、なんだか親のような気分になります。
そんな二人が、退院した僕を誘ってくれたんです。
以前は僕が車を運転していましたが、今は杖をついて歩く身。
すると二人が、「免許取ったし、練習がてら行こう!」と言ってくれました。

昔よく行った場所をいくつか巡り、最後はサウナへ。
横になって、さて起き上がろうとしたとき、二人がごく自然に手を貸してくれました。
病気だから、身体が不自由だからと、ことさら気を遣ってくれたわけではない。
ただ、目の前で困っている人がいたから、自然に手を貸してくれた。そんなふうに感じました。
中学生だった二人が大人になって、今もこうして一緒に出かけられる。
そして、僕が困ったときには当たり前のように手を貸してくれる。
長く付き合ってきたからこそ、そんな関係になれたのかもしれません。
そのことが、なんだかうれしかったのです。
形を変えて、付き合っていく
人に助けてもらうことが増えた一方で、僕自身も、周りの人のことを考えるようになりました。
僕のパートナーは介護の仕事をしています。
仕事では人の世話をし、家に帰れば僕の世話をする。
目の前で僕が倒れたことへのショックも抱えていました。
いつも笑顔でいてくれましたが、疲れていたんだと思います。
彼女には、心から休める場所がなかったのかもしれません。
それから一か月以上、何度も話し合いました。
重たい話になりすぎないように笑いながら話すこともあれば、真剣に話し込むこともありました。

そして、別々に暮らすことを決めました。
悲しい別れというより、お互いが幸せに生きていくための決断でした。
僕は、別れた相手とその後も付き合いが続くなんて、以前なら考えられなかったと思います。
でも、彼女とは今も友人として付き合っています。
何しろ、僕の命の恩人ですから。
数か月に一度、「ここ行ってみない?」「これ集めるの手伝って!」と気軽に誘ってくれます。
会えば、以前と変わらず自然に笑い合える。
別々に暮らすようになっても、今もそんな関係が続いています。
少しずつ、自分の暮らしを取り戻す
こうして、一人暮らしが始まりました。
料理はもともと好きだったので、わりとすぐにできるようになりました。
リハビリも続けながら、体力は少しずつ戻ってきました。
今では休憩を挟めば三時間くらい歩けますし、電車に乗って少し遠出することもできます。
もちろん、病気になる前とまったく同じというわけではありません。
記憶の障害は今も多少残っています。
メモを取ったり、テーブルの上に付箋をたくさん貼ったりして、忘れてしまうことを減らしています。
自分の記憶だけに頼らず、外に預けながら暮らす。
そういう生活にも、だいぶ慣れてきました。
ただ、不思議なこともあります。
僕自身が覚えていない最近の出来事を、周りの人のほうがよく覚えているんです。
自分の人生なのに(笑)。
そんなふうに、以前と同じではない自分と付き合いながら暮らしています。
自分のことも、大切に
今の自分は、これまでの人生の中でいちばん自分らしい気がしています。
僕は長男として育ち、学校ではいじめられた経験もありました。
いつの間にか、自分の気持ちを抑えて、周りに合わせることが当たり前になっていたんだと思います。
人のことを考えたり、大切な人を守ろうとしたりするのは、もちろん悪いことではありません。
ただ、自分のことも同じように大切にしていい。
病気になってから、そんなことを少しずつ考えるようになりました。

この先、好きなことができなくなる日がまた来るかもしれない。
そんなとき、誰かが手を差し伸べてくれるだろうか。
これまで出会った人たちのことを思い返すと、見返りを求めず、自然に手を貸してくれる人が周りにいました。
それは、僕が持っているいちばんの財産です。
たとえ誰もいなくても、「これが自分の人生だった」と笑えたらいいなと思います。
先のことはわかりません。でも、今は以前よりずっと肩の力が抜けています。
もうダルダルです(笑)。そのくらいのほうが、僕には合っているのかもしれません。
一人で過ごす時間が増えたこともあって、SNSの「Threads」を始めました。
そこで知り合った人たちとのやりとりが、また新しい出来事につながっていきます。
その一人が、MAMEHICOメンバーのセツオさんこと、永井宏佳さんでした。
この出会いが、まさかMAMEHICOの人たちと知り合い、こうしてマガジンを書くことにつながるとは、そのときは思ってもいませんでした。



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