なぜ、関係を育てるのか

みなさん、ごきげんよう。MAMEHICOの日野です。
今日は、MAMEHICOがどうしてメンバーシップ制を続けているのか、その始まりについてお話ししたいと思います。
原点は、渋谷のお店での経験でした。カフエマメヒコの屋号でお店をやっていたころ、三軒茶屋と渋谷にお店がありました。
渋谷店を始めたのは2007年。まだ渋谷が、いまよりもう少し文化の匂いが残っていたころです。
渋谷のお店で、最初に大きく印象に残っている出来事が、東日本大震災でした。
計画停電で、夕方を過ぎると渋谷の街が真っ暗になる。なんとも不思議な光景でした。
それでも、こんなときだからこそと思い、一日も休まずお店を開け続けました。
来てくれたのは、なんとなく顔見知りの人たちでした。名前は知らない。でも顔は知っている。いつも来てくれる人たちです。
「なんだか落ち着かなかったけど、少し気持ちが落ち着きました」
そんなふうに言ってくださる方が、ひとりやふたりではありませんでした。
その後、渋谷の街は大きく変わっていきました。
再開発のたびに人の流れが変わり、MAMEHICOのある渋谷側からは、少しずつ人が減っていきました。
渋谷という土地柄、お仕事の合間に来てくださる方も多く、年度が変わるたびに、常連さんの顔ぶれも少しずつ変わっていきます。
部署異動や転勤、お引越し。生活圏が変わると、それまで毎日のように来ていた人も、ぱたりと来なくなる。
でも、お名前もわからない。その後どうしているのか、知る由もありません。そういうさみしさが、ずっと心に残っていました。
ただ待っているだけではだめなんじゃないか。もっと、人が集まれる場所を作ろうと、イベントをいろいろやるようになりました。
トークイベントや演劇、ミニコンサートなど、ほんとうにいろんなことをやってきました。
そして、あるとき「MAMEHICO定期券」という仕組みも始めました。いまでいう、サブスクのようなものです。
カフェって、毎日のように顔を合わせていても、名前を聞くタイミングがなかなかありません。
井川さんが「カフェは人間交差点だ」とよく言うのですが、ほんとうにその通りで、人は流れるように来ては去っていく。
でも、その定期券をお渡しするときや、イベントで受付をするときに、名前と顔がつながっていきました。
そして、そのときに初めて、その人との関係が始まるような気がしたのです。
挨拶が増え、会話が増え、少しずつ関係が育っていく。
ただお茶をする場所だったものが、少しずつ別の場所になっていく。そんな感覚がありました。
それでも、街の変化には抗えず、渋谷で最初に始めたお店は、再開発の波のなかで閉店することになりました。
そして、その後にやってきたのがコロナでした。どこも閉まり、ほとんど人が歩いていない静まり返った渋谷の街。
そんななかでも、お店に来てくれる人がいました。震災のときと違ったのは、その人たちのほとんどが、名前と顔が一致している人たちだったことです。
あの頃から少しずつ育っていた関係が、ちゃんと残っていたんだと思いました。
結局、渋谷で続けてきた二つのお店は、どちらも閉じることになりました。
時代や街の変化には、どうしても逆らえませんでした。
でも、そのなかで気づいたことがありました。場所がなくなっても、関係は残るということです。
渋谷のお店がなくなったあとも、つながりは途切れませんでした。
「ここでやってみたら?」と声をかけてくださる方が現れて、銀座や神戸、桐生でお店をやることになりました。
そんな経験を重ねるうちに、MAMEHICOでは、人との関係を育てていくことを大切にするようになりました。
メンバーシップ制も、そのための仕組みです。
なんだか敷居が高く聞こえるかもしれませんが、特別な会員制度というより、「なじみの人」が少しずつ増えていくような感覚に近いのかもしれません。
顔を見たら、「ああ、来てくれた」と思える。そんな関係が、いまも続いています。
渋谷のお店はなくなってしまいましたが、あの頃につながった関係はいまも残っています。
だからこそ、これからも人との関係を大切にしていきたいです。

銀座でも少しずつ育てています。
朝の時間も、お昼の時間も、どうぞごゆっくり。







