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どちらでもない

荘子にこんな話があるんですよ。

山の中に、見事な大木が一本立っていた。 それはもう堂々たる木なんですが、なぜか誰も材木にしようとしない。 理由は、枝がこう、曲がりくねって自由に伸びているので、材木には使いにくいからなんですよ。 だからその木は誰にも切られず、ずっとその森に鎮座し続けていたというわけです。

一方で、役に立つ木はすぐに切り倒されて材木にされてしまう。 役に立たない、ちょっと曲がったような木だからこそ、誰にも切られずに最後まで生き残る。 荘子はこれを「無用の用」と呼んだわけですね。

続きがあって、別の日に荘子が山を降りて友人の家に泊まると、その友人がもてなしにと、庭で飼っていた二羽の雁のうち一羽を料理しようとした。 弟子が「どっちを殺すんですか」と尋ねると、友人は「鳴けない方を殺す」と言って、鳴けなかった雁をみんなに振るまった。

翌日、弟子が荘子に問うわけですよ。

「山の木は役に立たないから生き残り、家の雁は役に立たないから殺された。先生は一体、どちら側にいるんですか」と。 荘子の答えはこうです。 「そうだね、それならボクは役に立つと役に立たないの間で生きていこう」と。

いやはや、ここなんですよね。

MAMEHICOも21年やっていると、いろんな声がかかります。 「六本木ヒルズに出しませんか」と言われたり、「もっと効率を上げないと商売は続きませんよ」と言われたり、逆に「もっと小さく縮めて、肩の力を抜いてやればいい」と言われたり。 どちらかに振り切れ、と言われているわけです。

でも、ボクはどちらでもないんですよね。 大きくしたいと思うこともある、でも大きくすることが目的でもない。 お客さんが来なければ来ないなりに、来ればそれなりに。 食べられる時には食べる、食べられない時には食べない。 それをずっとやってきたという感じなんです。

歌にしても、歌いたくて始めたというより、成り行きで歌うことになった、というのが正直なところで。 若い頃に「そういう姿勢は良くない、もっとやりたいという気持ちを前面に出さないと失礼だ」と叱られたこともありますよ。 でも、どこか諦めというものが常にある。 人間に対しても、運命に対しても、「それならそれで仕方ないか」という気持ちが根底にあるんですよ。

ボクの中には、孔子もいるんです。 孔子というのはもともと役人になりたかった、出世したかったヒトですから、その人間臭さは、ボクの中にも確かにある。 売上がもう少し立てばなと思ったり、もう少し頼りになるスタッフはいないかしらと思ったりする。 かと思えば、どこか、自然に逆らってもなという、老子や荘子のような気持ちも、同じだけある。 出世したい孔子と、流れに任せる老荘と、その両方が、いつもボクの中で綱引きをしている。

面白いもので、老荘思想は、のちに道教に取り込まれて祭り上げられることになるわけですが、そうなった途端に、ボクはちょっと興ざめしてしまう。 やはり荘子も老子も孔子も、一人の人間として考えたことの中にこそ、生きるヒントがある。 立派な教えに祭り上げられた途端に、その人間臭さが消えてしまうからでしょうね。

役に立つと役に立たないの間で生きていく。 傍から見れば一貫性がなく、矛盾だらけに見えるかもしれない。 でもボクの中では、これが一番しっくりくる。どちらでもない、というのが一番正直なところなんですよ。

皆さんはいかがでしょうか。

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MAMEHICO代表・井川さんのラジオです。
何気ない言葉の中に、ふと立ち止まるきっかけがあります。
"役に立つ"と"役に立たない"の間で生きていく…
ぜひ一度、耳を傾けてみてください。
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