三茶も神戸も桃寒天パフェ大好評です!

マガジンで桃農家さんのご紹介しています。

ホーム ブログ 井川のはなし 意必固我

意必固我

「意必固我(いひつこが)」という言葉。

これは、論語をつくった孔子が「断ち切るべきだ」としたという、4つの思い込みのことです。「意」というのは、自分の思い込み、こうだという決めつけ。「必」は、必ずこうだという思い込み。こうじゃなきゃいけないと自分の意思を無理やり通そうとすること。「固」は、頑固。考えを変えないこと。絶対こうだという姿勢。そして「我」は、わがまま、自分勝手。要するに、思い込みの激しい子供みたいな部分ってことですよね。この思い込みが、自分の人生をずいぶん不自由にするんだと、孔子は言っているわけです。論語の中でも、この4つをとにかく断ち切るようにヒトは努めなくちゃいけない、という話でね。

で、この思い込みっていうのは、たとえばヒトへの「期待」もそうだよなとボクは思うんです。あのヒトはこういうヒトだから、こうしてくれるに違いない。これは、自分の都合でそう見えているだけです。どんなヒトにも、自分の知らない顔がある。親しいヒトであっても、いや親しいヒトならなおさら、見せられない、見せたくない顔っていうのがある。それなのに「このヒトはこういうヒトだからこうするに違いない」という期待を持って臨むから、裏切られたとか、あのヒトには裏表があるとか、勝手に思い込みを通そうとしたあげく、そのヒトを攻撃するようになってしまう。

ボクはこの「意必固我」という言葉を知ってから、なるべくこの4つをなくそうと努めてきたつもりなんです。要は、期待を持つなってことです。子供は何でも期待が強くて、パパとママはこうしてくれるものだと思っちゃう。でも人間なんだから、たとえ親子だったとしても、必ずそうしてくれるとは限らない。それをいちいち裏切られただの、言ってることとやってることが違うだのと批判しても仕方ない。ヒトっていうのはその程度のもの。それは疑ってかかるという意味じゃなくて、他人なんだから分からないっていうことなんですよね。

MAMEHICOでもね、入る前は「もうすっごい頑張ります、夢だったんです」なんて言ってたスタッフが、いざ入ってみたら数時間でフラフラして「もう休みたいです」なんて言い出すこともあります。まあ、そんなもんでしょって思う。もちろん「あそこは自分の考えに合わなかった」と本人が言うのは、それはそれでいい。そのヒトにはそのヒトの考え方があるんだから。でも、そう言われて自分ががっかりするっていうのは、こっちの期待の問題です。すごく頑張ってくれると期待していたから、翌日ふにゃっとした顔をされると裏切られたような気になる。だから、期待させる罪もあれば、期待する罪もある。どっちも悪いんですよ。

仕事なんだから休むなとか、プロ意識を持てとか、ごちゃごちゃ言ったところで、所詮他人は他人です。こちらの都合とは関係ないところで、そのヒトなりの事情があって生きている。もちろんこっちだって仕事だから譲れないところはある。それで揉め事になることだってあるかもしれない。でも揉めようが何しようが、所詮他人は他人なんだから、腹も立たないし、裏切られたとも思わない。そういうことなんじゃないでしょうか。

期待すること自体は、別にいいんです。ただ、その期待が自分の思い込みで勝手に膨らんで、勝手に裏切られたと思うのは違うだろうと。期待もするけれど、何かあった時には自分で何とかするという気持ちでヒトと接すれば、たいがいのトラブルはないんじゃないかと思います。

皆さんもぜひ、この「意必固我」を頭の隅に置いて、他人に期待しすぎたり、自分を勝手に上げてヒトに期待させたりすることのない、そんな人生を送ってみてはどうでしょう。そのほうがきっと、豊かになると思いますけどね。

「天才よち丸ラジオ」のご視聴はこちら
MAMEHICO代表・井川さんのラジオです。
何気ない言葉の中に、ふと立ち止まるきっかけがあります。
「期待させる罪」と「期待する罪」。
ぜひ一度、耳を傾けてみてください。
SHAREXfL
ブログ一覧に戻る