啐啄の機

「啐啄の機(そったくのき)」という言葉があります。
禅の言葉なんですけどね。ひなが卵から孵る時に、殻の内側から「お母さん、そろそろ出る気っすよ」ってトントントンとつつく。それを聞いた親鳥が「何々?」って言ってツンツンツンと外からつつき返す。このひなが内側からつつくのが「啐」、親が外から応えるのが「啄」。合わせて「啐啄」というわけです。つまり、子供がトントンって言っても親がその時に気づかなければ卵は割れない。逆に親が心配になって、まだ出てこないのって叩いても、子供のほうが知らんぷりしてたら、これも卵は割れない。子供がそろそろ出たいわねと、親もそろそろ出たらどうよと、両方のタイミングがピタッと合った瞬間に、卵は割れて、ひなが孵る。
いい言葉ですよね。あの卵の殻というのは、内側の口ばしと外側の口ばしがタンタンと当たったタイミングで、ちょうど割れるようにできている。日頃、卵料理でパンパカ割ってるから、そんな大それたもんじゃないだろって感じもするけど、本当はそうなんだということです。これはいわゆる「時」、タイミングってことです。天地人、とも言えるし、何事もタイミングがとても大事で。
若い子なんかに、ボクがいろいろ言っていてね。中には「本当に井川さんに会って救われました、なんでもっと早く会えなかったんだろう」っていう子は、それはもう枚挙にいとまがないぐらいいるんです。すごいんですよ、もう「もっと早く会いたかった、そうしていたら人生違っていたのに」と後悔するヒトが続出でしてね。ところが一方で、こっちが「そういう考え方だと行き詰まっちゃうと思うよ」なんて言うと、「あ、そうっすか」なんて言ってスルーされることも、多々あるわけです。こっちもイラっとして「ちょっとちょっと」って言いたくなるけど、これ、啐啄の機ってことで考えれば、要するにボクがおせっかいに色々言ったとしても、相手のひな鳥のほうが「ふーん」って言ってたら、親鳥がいくら口ばしでつついても、卵の殻は割れないんですよ。もちろん逆もある。子供のほうが「お母さんお母さん」って言ってても、親が忙しくてそれどころじゃないってなってたら、やっぱり殻は割れない。
だから、このタイミングっていうのは本当に大事で。とにかくしょっちゅう見てあげるってこと。子供が叩いてるかもしれないと思うから、こっちも叩いてあげる。そのタイミングをお互いに気をつけるってことが必要なんです。中には、孵らない卵だってもちろんあって、それはお互いにタイミングが合わなかったものなんじゃないかな、とも思います。ヒトを育てる時にこの「タイミングなんだ」って思えば、そのタイミングを待つっていうことが必要になる。で、このタイミングを待つっていうのは、非常にめんどくさい。だって「ふーん」って言ってるものを、いちいち急かさずに待ってなきゃいけないんだから。
ところが多くのヒトは、これが待てない。端的に言うと、「ふーん」って言われた時の対応は2つに分かれます。ひとつは「あなたのためを思って言ってるんじゃないの」って形で、親鳥がひたすら殻をタンタンタンタン叩き続けるパターン。そうすると、親鳥の力だけで卵が割れちゃう。子供が寝ていたとしても、です。「私はよかれと思って言ってるのよ」っていうヒト、ずいぶんいます。もうひとつは、言うこと聞かないヒトを見捨てる。「どうせ言ったってあんた聞いてないんだから」って、もう勝手にしなさいと放っておく。このどちらでもない、「ちょいちょいいじるけど見捨てない」っていう塩梅が、非常に難しいんですよね。
それと、親のほうが、まだ卵の殻から出ていない子供だった場合。大人になってたとしても、まだ殻の中にいるようなヒトはいっぱいいるわけで、こういうヒトはもうどうにもならない。だって、全部マウントを取ろうとするから。「なんで言うこと聞かないんだ」もマウントだし、「じゃああなた勝手にしなさい」もまたマウントを取ろうとしているだけ。そうじゃなくて、「まあまあ、じゃあそうしたら」って自分から折れてやるのもそう。「じゃ、勝手にしなさい」と言いながら、目配せして見てあげるのもそう。何かの時には、あ、このタイミングだと思ったら、もう真正面からぶん殴るまでして、こっちのことを伝える。とにかく熱意です。人間というめんどくさい生き物に対して、どれだけ熱意を持てるかっていうことに尽きると思うし、尽きます。
その、人間っていうめんどくさいものに、どれだけ愛情を持てるのか。これはこんなラジオで、ボクがなんか偉そうな顔して何か言ったところで伝わるものじゃない気がします。持ってるヒトは持ってるし、持ってないヤツは持ってないってことで終わりと言えば終わりだっていう気がする。何かにつけて愛情深いというヒトもいるしね。ボクもそうなりたいなって思ってはいるけど、そこまでなりきれてないっていう気もするしね。じゃあ、愛のないヒトはどうするかっていうことについて、「そう言われたから気をつけて愛を持つようにします」ってなるようなものでもない。
難しいですよ、それは。ただ、このめんどくさいものに付き合うっていうことは、愛情の深さもそうだし、あとは自分というものを律すること。天然の何かだけで邁進できるわけじゃないから、人間は。自分というものを律しながら、辛抱強く、根気強く殻をトントンとし続ける。それしかないんでしょうね。
この啐啄の機っていうのは、お店をやったり事業を続けるってこともそうだし、ヒトを育てるのもそう。人間ではなく、野鳥の親鳥と卵の殻の内側というものを例えにしているっていうところも含めて、非常に含蓄のある、ボクの好きな言葉の一つです。

何気ない言葉の中に、ふと立ち止まるきっかけがあります。
今回は禅の教えである「啐啄(そったく)の機」について。
ぜひ一度、耳を傾けてみてください。








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