アイスコーヒー選挙、応援演説に参加してください。

政策討論会の動画見た?

ホーム ブログ 井川のはなし あいつは怪しい

あいつは怪しい

怪しいと思われ続けて53年、ボクの人生です。

MAMEHICOをGoogleで検索すると、予測変換に『宗教』と出てくるらしい。要するに、怪しいと思われている、ということでしょう。ボクはそれを名誉だと思っているんですけどね。『怪しい』の怪という字は、怪物の怪、妖怪の怪。要するに、世間のものさしに収まらない、ということですから。もっと怪しいと思ってほしいぐらいです。

ただ、なぜヒトは「怪しい」と感じるのか、ということをちょっと言語化してみたいんですよ。

まず、怪しいというのは「悪い」とは言っていないんですよね。怪しいというのは、つまり「わからない」ということです。良いとも悪いとも判断しきれない。

目の前に、判断できないものがある状態というのは、落ち着かない。宙ぶらりんの状態というのは、ストレスなんですよ。だから早く決着をつけたいと思う。

そこで「怪しい」というレッテルを貼るというのは、ひとつの決着なんですよね。考えた結果ではなく、考えることそのものを放棄して、「あんなの怪しいから見なくてもわかる」という形で片付けてしまう。これは判断の放棄です。

その奥にはたぶん、「わからない」ということを認めたくない、という心理もある気がする。わからないまま抱えているのが辛いから、「怪しい」という結論を出すことで自分を守る。わからないものを「怪しい」に変換することで、「それを見抜いている自分」にすり替えることができる。

しかもこれ、賢く見えてしまうんですよ。「MAMEHICOってどうなんですか?」「あれ、怪しいよ。宗教だから」と即答すると、なんか頭の回転が早いように見える。そういう側面もあると思うんです。

あれは怪しいけどこっちは怪しくない、というヒトには要注意だと、ボクは思っています。自分以外の他者はもちろん、なんなら自分自身だって、よくわからないという意味では怪しいわけですから。

大事なのは、わからないものをわからないまま持ち続けられる、ということだとボクは思うんです。どこかで「脳みその体力」という言葉を聞いたことがあるんですが、解決しないものを解決しないまま持ち続ける体力、というのはたしかにあると思う。すぐ名前をつけない。すぐゴミ箱に捨てない。判断を保留したまま、ぐるぐると持っておく。これは1つの賢さだと、ボクは思うんです。

片付けない賢さ、というのもあるんじゃないかな。怪しいものも含めて自分の周りにいろいろ囲んでいる状態というのは、たしかに頭の体力を使う。だからこそ、自然の中に身を置くといいかもしれないですよ。自然というのは、片付いていないものだらけです。でも、その片付いていないものが、時間とともにゆっくりと変化していく。

椿の花が落ちて、半分朽ちて茶色くなっている。そういう状態をめでられる体力が、自分には欲しいといつも思っています。

「天才よち丸ラジオ」のご視聴はこちら

井川さんのお話会やっています
MAMEHICOを21年続けてきた、
代表・井川さんのお話会。
「始めて続ける」を、一緒に考えてみませんか。

6/14(日) 10:00〜 / 15:00〜 神戸
6/16(火) 10:30〜 三軒茶屋
7/14(火) 10:30〜 三軒茶屋
SHAREXfL
ブログ一覧に戻る