御影城の名残を道草│2025年11月
第五作目は、御影の町に残る「お城の名残」を探して歩きました。
きっかけは、「城の前」という交差点です。
毎日のように通る場所なので、名前はもちろん知っていました。
でも、「なんで城の前なんやろ」と考えたことは一度もありませんでした。
街に残る、お城の記憶
資料や古地図を調べ、「ここを歩いてみよう」とルートを決めます。
御影城跡の石碑や深田池、御影北小学校、中勝寺、弓弦羽神社…。
一つひとつは知っている場所なのに、「昔、このあたりにお城があった」と思いながら歩くと、いつもの景色が違って見えてきます。
なかでも印象に残ったのが、御影北小学校です。
古地図では、このあたりが城の中心だったそうです。
学校の塀を眺めていると、「なるほど、ここなら周りを見渡せるな」と、急にお城の風景が想像できました。
城そのものは、もう残っていません。
でも、「城の前」という交差点や、「上ノ山」「滝ヶ鼻」といった地名、深田池のような地形には、当時の面影が残っています。
普段は住所くらいにしか思っていなかった地名が、その土地の歴史を伝えている。
そんなことに、今回初めて気づきました。
もう一つ、心に残ったのが、御影城を築いたとされる平野忠勝の話です。
戦いに明け暮れた末、武士をやめて農民として生きる道を選んだといいます。
城を築いた武将としてではなく、「もう争うのはやめよう」と決めた一人の人として、その生き方に惹かれました。
歴史というと、つい戦いや出来事に目が向きます。
でも、そこで生きた人が何を考え、どんな選択をしたのか。そんなことを知ると、遠い昔の話が急に身近になります。
知らない一面を
撮影では、中勝寺のあとに弓弦羽神社も訪ねました。
宮司さんには以前、MAMEHICOのイベントでお世話になったご縁があり、今回の撮影にも快く協力してくださいました。
だんじりのお話を伺っていると、「平野」という名前は、今も地域のなかで生き続けていることが分かります。
石碑や古地図だけではなく、お祭りや人とのつながりのなかにも、町の歴史は残っているんですね。
「暦の手帖」を始めてから、地域の方に話を聞かせていただく機会が増えました。
映像を撮ることが目的だったはずなのに、撮影を重ねるうちに、町のことを知るだけでなく、そこで暮らす人たちとのつながりも少しずつ広がっています。
今回の作品は、お城を紹介する映像ではありません。
「城の前」という一つの地名から始まって、町を歩き、人の話を聞きながら、御影という土地の時間をたどる作品になりました。
知っているつもりの町にも、まだ知らないことがたくさんあります。
いつも通っている道も、少し立ち止まって見てみると、そこに残る昔の人の足跡に気づくことがあります。
今回も、そんな道草になりました。
そして、この撮影をもって、東京から駆けつけてくれていた音声チームは、ひとまず一区切り。
まさか次から、僕の妻・みゆきが音声を担当することになるとは、このときの僕たちは思ってもいませんでした(笑)。











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