08
三十一文字に詰まった、人の心
人は、日々、いろいろな感情を抱きながら暮らしています。
「楽しい」「嬉しい」と感じることもあれば、「悲しい」「悔しい」と思うこともあります。
そんな、日常的に抱く感情の中で、みなさんは何が好きですか?
私はというと、「切ない」が好きです。
そして、古典和歌が好きなのも、そこに「切ない」がたくさん詰まっているからです。
古典和歌との出会い
古典和歌(以下、和歌)との出会いは、一冊の漫画でした。
杉田圭先生の作品『超訳百人一首 うた恋い。』です。
その名の通り、藤原定家が秀歌を百首選び、現在では小倉百人一首と呼ばれ親しまれている和歌について描かれています。
「超訳」とタイトルにあるだけあって、現代の私たちにもわかりやすく訳して漫画にしてくださっています。
この本が、それまで百人一首に対して「坊主めくりに姫めくり」というイメージしか持っていなかった私を、和歌の世界に誘ってくれました。
「切ない」という感情が私は好きなのだと気付かせてくれたのも、この本です。

そのころ神社で助勤巫女をしていたのですが、そこでお世話になっていた神職さんから、和歌の会に入会しないかと声をかけていただいたのです。
もうこれは運命だと思いました。
即答で「入ります!」とお返事しました。
いざ、歌会へ
初めての歌会。
ここでの歌会とは、各々が詠んだ歌を持ち寄って選評する会を指します。
試行錯誤して詠んだ拙歌を携え、勇み参加したはいいものの、周りは歴戦の猛者たち。
皆さん、本当に素晴らしい和歌を詠んでいらっしゃる。
知識が無さすぎて、どれほど凄いかもわかっていない者が何を言うか、というところではありますが。
結果は撃沈。
現代短歌ではなく古典和歌を読む場なのに、「電話」という、今の言葉を使って大恥をかいてしまいました。
今思い返すと、なぜそんな単語を使ったのでしょうか、私は…。
ですが、この時の悔しさをバネに、絶対に詠めるようになってみせると自分に誓いました。
根が負けず嫌いなのです。

10年くらい続けたころでしょうか。
「そろそろ名前をつけたら」と言っていただいたことがありました。
そこで考えたのが、「露萩(ろしゅう)」という名前です。
『枕草子』に、朝露に濡れた萩の枝が、露が落ちるとふっと跳ね上がる様子を描いた一節があります。
その風情が好きで、そこから「露萩」と名付けました。
最初は右も左もわからなかった私が、長く続けているうちに、こんな名前を持つまでになった。
そう思うと、なんだか不思議な気持ちになります。
そして気付けば、和歌を詠み続けて約15年がたちました。
三十一文字に込められたもの
もちろん、負けず嫌いだけでこの年数は続きません。
続けられたのは、やはり和歌の魅力に取り憑かれたからです。
特に好きなのは、恋の歌と、世を儚んだ歌。
立場や規則に縛られた当時の人々が詠むこれらの歌に、心を揺さぶられたのです。

そこで、今回は小倉百人一首の中にある一つの恋歌をご紹介したいと思います。
君がため
惜しからざりし
命さへ
ながくもがなと
思ひけるかな
【訳】
貴女のためなら、惜しくないと思っていたこの命でしたが、想いが通じ合った今となっては、あなたと一緒にいたいので、長生きしたいと思うようになりました。
作者の藤原義孝(954~974)は平安中期の公家、歌人。
眉目秀麗、敬虔な仏教徒であったそうです。
しかし、天然痘によりわずか21歳という若さでこの世を去りました。

この他にも和歌には、恋のときめきや死別の哀しみ。
月の翳りや桜の散り際に覚える侘しさ。
そして、生きづらいこの世で抱く、様々な煩わしさ。
たくさんの人間の感情を詠んだ歌があります。
五・七・五・七・七という三十一文字(みそひともじ)の中に収めるルールがあると聞くと、窮屈と感じるかもしれません。
けれど、その縛りがむしろ魅力でもあります。
余計な言葉を削ぎ落として残った言葉だからこそ、痛切に胸に迫ってくる。
そんな和歌が私は大好きです。
小さなことを面白がる
和歌を続けていると、和歌そのものだけでなく、昔の人がどんなものを見て、何を思ったのかということにも興味が湧いてきます。
恋をしたり、誰かを失ったり、季節の移ろいに心を動かされたり。
そうやって昔の人の心を想像していると、今を生きている私たちと、案外変わらないのかもしれないと思います。
私は清少納言の『枕草子』も好きなのですが、読んでいると、誰もそんなに気に留めないようなことを「面白い」と感じたり、そこに価値を見つけたりする感性に、いつも惹かれます。
私も、そんなふうに日々の小さなことを面白がれる人になりたい。
意識しているというより、自然とそういうものに目が向くようになってきた気もします。

今回こうして文章を書き、誰かに届ける機会をいただけたことも、とても嬉しく思っています。
もともと私は、文章を書いて、それを誰かに届けることが夢でした。
和歌を15年続けてきたことも、こうして文章を書いていることも、振り返ってみると、好きなものを好きなまま続けてきた先にあったものなのかもしれません。
恐縮ですが、最後に私も一首詠ませていただき、結びといたします。
古人(ふるひと)も
思ふ心の
本立(もとだ)ちは
うつつの人と
よもやかはらむ
【訳】
昔の人も、何かを見て思う心の根の部分は、今を生きる私たちと、きっと変わりはしないでしょう。
昔の人も、恋をして、嬉しくなったり、切なくなったり。
誰かを想い、誰かを失い、季節の移ろいに心を動かされたり。
そう思うと、今も昔も、人の心はそんなに変わらないのかもしれません。
いつか、自分の詠んだ歌を一冊の和歌集にできたら。
そんなことも、ぼんやりと考えています。
「なんだかこの歌、好きだな」。
そんな一首が見つかって、そこから一人でも多くの方が和歌に興味を持ってくださったら、この上ない幸せです。



コメント 0
コメントを投稿するには ログイン してください。