こぼれたぶんを、手渡す

こんにちは!MAMEHICO東京スタッフの池田玲菜です。
MAMEHICOで大切にしていることのひとつに、「過剰こそが救う」という考え方があります。
ただ、正直に言うと、私はずっと逆の価値観で生きてきました。
中学生くらいから、なんとなく「熱くなったら負け」みたいな空気があった気がします。
授業で真面目に手を挙げる子は「意識高い系」と言われ、好きなものを熱く語る子は「重い」と言われ、何かに本気で怒っている子は「あつい」と言われる。
だから、いつのまにか私も、一歩引いたところに自分を置く癖がつきました。
時間も、お金も、感情も。何かに過剰にハマって、はしごを外されて「あの時間、なんだったんだろう」と思いたくなかった。
なんでもコスパよく、距離を取りつつ。それが賢くて一番安全だと、本気で信じていました。
MAMEHICOで働きはじめてからも、その癖は抜けませんでした。
うまくいかなくて困っていても、相談したら無能だと思われる気がして、一人で抱え込む。
でも、そうやって生きていると、どこかでまったくうまくいかなくなる瞬間を、何度も経験しました。
そんなある日、思い切って井川さんにそのことを話してみたんです。
普段の私だったら、こういうことは絶対に誰にも言いません。
弱音を吐いている自分がかっこ悪いし、相手に重く受け取られるのも怖い。でもそのときは、なぜか言えてしまいました。
すると井川さんは「バカか。みんな過剰が当たり前なんだよ」と言って、シラーという詩人の詩を紹介し、丁寧に解説してくれました。
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樹木は育成することのない
無数の芽を生み、
根をはり、枝や葉を拡げて
個体と種の保存にはあまりあるほどの
養分を吸収する。
樹木は、この溢れんばかりの過剰を
使うことも、享受することもなく自然に還すが
動物はこの溢れる養分を、自由で
嬉々としたみずからの運動に使用する。
このように自然は、その初源からの生命の
無限の展開にむけての秩序を奏でている。
物質としての束縛を少しずつ断ちきり、
やがて自らの姿を自由に変えていくのである。
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私なりに井川さんの解説をまとめると、こういうことだと思います。
自然というのは、もともと過剰なんです。
生きるのに必要なぶんだけが用意されているのではなく、最初から必要を超えた量がそこにある。
樹木は、自分の身を保つのに必要な量より、ずっと多くの養分を根から吸い上げる。
育てるあてもない芽を、無数に生む。
咲いた花も、落ちた葉も、ぜんぶ「使わなかったぶん」です。
樹木は、その使わなかったぶんを、ただ大地に還してしまう。
でも、その溢れたぶんを受け取るものがいる。動物です。
動物は、樹木が差し出した過剰の恵みを食べて、その力で走ったり跳ねたり、鳴いたりすることができる。
自由な幸福は、植物の過剰によって支えられている。
つまりシラーは、こう言っているのだと思います。誰かの過剰が、別の誰かの自由を生む。
植物の溢れが動物の躍動を生み、自然は最初から、そういう連鎖でできている。
必要なぶんしか持たない世界では、こんな連鎖は起こらない。
過剰があるからこそ、生命は物質の束縛から少しずつ解き放たれていく。
思い切って井川さんに話してみてよかったな、と思いました。
自分でぐるぐる考えていたら、たぶん一生たどり着けなかった答えです。
自分の悩みに、ドイツの詩人の言葉が返ってくるなんて、想像もしていませんでした。
昔の私は、誰かに何かを「やってあげたい」と思っても、すぐに動けないタイプでした。
「良かれと思ってやっても、相手には鬱陶しいかもしれない」という思い込みが強くて、いつも一歩引いていました。
でも、よく考えると、相手がどう思うかを気にしているというのは建前で、本当は自分が傷つくのが怖かっただけなんですよね。
自分の中の余ったぶんを差し出して、「要らない」と言われるのが怖かっただけなんです。
シラーの詩を読んでから、それがバカらしくなりました。
樹木が「育てるあてのない芽は生まないようにしよう」と言いはじめたら、たぶんそれは樹木ではなくなってしまう。
私が自分の過剰を抑え込んでいたのは、樹木が芽を生むのをやめるのと同じくらい、無理なことだったのかもしれません。
そう思ってから、「やってあげたいと思ったなら、やってあげればいいじゃない」と自分を鼓舞してみると、ほとんどの人はそれを快く受け取ってくれることがわかってきました。
守りに入るより、多少失敗しても外に向けて自分の意思を出してしまったほうが、物事はいい方向に進むし、毎日が生き生きと楽しい。
私の余ったぶんが、誰かの一日のささやかな何かになることがあるのなら、それは樹木と動物の関係と、きっと同じことなんだと思います。
私自身がそうであるように、誰でも放っておけば何かしらの過剰さを持っているものだと思います。
MAMEHICOでは、井川さんもスタッフも、人に迷惑をかけない限り、わざわざそれを矯正したりはしません。
というより、そもそもMAMEHICOでやっているすべての活動(カフェ、演劇、ハタケなど)が、「やりたいから、やる」という過剰なものばかりです。
MAMEHICOに関わる人それぞれの「矯正されない過剰さ」が、なんとなく空間に滲み出ている気がします。
はじめてMAMEHICOに足を踏み入れた人が「ここは自由な場所だ」と感じてくれるとしたら、たぶん、そういうことなんじゃないかと思います。

1_一緒に食べる
2_手間暇をいとわない
3_長い目で視て考える
4_素直であろう
5_自分に関心を持て
6_過剰こそが救う
7_干渉するけど監視しない
8_雑を大切に
9_とにかく行動を
10_ブリコラージュする






