2000年ごろ、ボクはテレビディレクターとしてニューヨークに住んでたんです。
すごい大都会ですが、街を歩けば誰でも入れる教会があちこちにある。
「ああ、いいな」と思ったんです。
教会って、「個」としてひとりで祈れる場所でもあるけれど、「集」としてヒトとつながる場所でもあるでしょ。
内にも外にも開かれてる。
日本には、そういう場所がなかなかないでしょ?
新興宗教とかじゃなくて、もっと自然に、日常の中で自分を整えたり、ヒトと交われる場所。
そういうのが日本にも、もっとあれば、救われるヒトたくさんいるのにと思ったんです。
だから帰国してカフェをつくるとき、「教会みたいな場所にしたい」と思ったんですね。
いまは「神社みたいなカフェ」って言い方に変えてますけど、趣旨はおんなじです。
店の真ん中に長いテーブルをどんと置いて、チャーチチェアで囲む。
普段の営業ではひとりで静かに過ごせる空気を保ちながら、イベントのときは同じテーブルを囲んで、知らないヒトとも自然に言葉を交わせる。
そういう思いで、MAMEHICOを始めたんです。
カフェ営業は「個」に向けてだから、誰にでも同じサービスをするんじゃなく、そのヒトにしかないMAMEHICOを演出しなくちゃだめ。
お茶を急須で一杯ずつ淹れるのもそう。
お客を数やデータで見る今のビジネスの対局をやろうと。
はじめの頃は、一期一会を大事にやってました。
でも、ひとり一台スマホを持つ時代になって、「個」へのサービスは足りてるなと思ったんです。
むしろカフェとして「集」をどうやって演出するか。そのことのほうが課題でした。
今の時代、欲しいものは検索すれば何でも手に入る。
でもボクは、「望んでなかったもの」に出会う価値ってあるよなってずっと思ってた。
いやむしろ、ほんとに大事なものってすべて「偶然の出会い」──セレンディピティじゃないかと。
カフェは、そういう偶発性を生む装置になり得るんじゃないかといろいろ実験しました。
いま紫香邸や神戸で朝に唐突に音楽会を開いているのも、その実験のひとつです。
それで「集」を担う活動として、映画や舞台、ハタケ、遠足などをやったんですね。
それはボクの得意領域だったから。
カフェで珈琲教室はまぁ普通でしょ。
「カフェで映画撮るから手伝って」といったら、普通「やったことないですけどいいですか」となる。
「やったことないことやるから、楽しいんじゃん」と口説いて、始めてのお客さんでも少しずつ階段を上れるようにして。
そして、いつの間にか自分の居場所としてMAMEHICOを感じられるように設計してきた。
先週、神戸で20周年のパーティーがあったんだけど。
「実は渋谷の『ゲーテ先生の音楽会』に足繁く通ってて、でも途中で大きな病気になって東京を離れて、しばらく行けてなかったんですけど、ずっとMAMEHICOに対する私の、一方的な思いがあって、今は、自分なりに、自分なりのMAMEHICOへの思いを職場に持ち込んでいて。
そういう背景があって、だから今日は、思い切って朝早い電車に乗って三重から神戸に来ちゃいました」と。
一生懸命話してくれた若い女性の顔が印象的でした。
こういうのって、ほんと感慨深いんですよ。
美しいこと。利他的であること。そして、ヒトとどう関わって、どう生きるか。
ボクは自分が生きていくうえで、それをいつも考えてるし、単なるビジネスじゃなくて、店の空気やスタッフのふるまいでそれを感じてもらいたかった。
でも、不景気まっただなかの東京で20年、裏技も使わずカフェを続けていくんですからね。
ビジネスじゃないよねとか、スカしたことばかり言ってらんないわけです。
思いだけでも無理で、何度も金銭的な壁にぶつかりながら、「じゃあどうしよう」と考え続けてきた生き方そのものです。
いまだって不安しかないけど、続けてきたから見える景色があります。
それはボクも、スタッフも、一緒に歩いてきたお客さんもそうだと思う。
この「始めて続ける」では、そんなボクが、どうやってMAMEHICOを始め、どうやって続けてきたかを話します。
ノウハウじゃなくて、考え方の話です。
今、迷いがあるなら、きっと共感できるところがあると思うよ。

小さな店として始めて二十年。「MAMEHICOの大切にしている10のこと」をご紹介しながら、続けることの意味をお話しします。



