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夢を叶えて駆け抜けた、そのあとで

私は群馬で生まれ育ち、大学進学を機に上京しました。
卒業後もそのまま東京で会社員をしていましたが、「いつか自分の好きなことを仕事にしたい」という思いは、ずっとあたためていました。

30代後半になったころ、その思いを形にするように、小さな貸衣装屋さんを始めました。
海外から買い集めた古い時代のドレスや小物など、自分の好きなものを並べた、かなりニッチなお店でした。
ところが、それが時代のニーズにもうまく重なり、全国からお客様が来てくださるようになりました。

ゲームから降りるという挫折

雑誌や映画など、憧れていた業界から声がかかることもあり、自分でブランドを展開したりもしました。
やりたかったことは、だいたい形にできたように思います。

自分のアイデアを形にして、それを喜んでくれる人がいる。
たくさんの人を笑顔にできる。
それがうれしくて、夢中で走っていました。
人生で最も波に乗っていて、自信に満ちあふれていた時期でした。

ところが、やがて似たようなコンセプトのお店が増え、集客にも行き詰まりを感じるようになりました。
売上があっても、収入のほとんどが家賃に消えていく。
好きなことを仕事にしたはずなのに、だんだん「好き」だけでは続けられない現実が重くのしかかってきました。

そんなとき、コロナがやってきました。
仕事はほぼすべて止まり、10年目前でお店を手放すことを決めました。
もちろん葛藤はありました。
でも、正直なところ、「これでやっと、このゲームから降りられる」そんな気持ちも、どこかにあった気がします。

ずっと走ってきたから、一度くらい降りてもいい。
そんなふうに思ったのかもしれません。

地元に戻ると、経済的なプレッシャーからは解放されました。
けれど、今度は「何者でもなくなってしまった」ような感覚に襲われました。
東京で仕事をして、お店をやって、ブランドをつくって。
それまで自分を支えていたものが、全部なくなったような気がしたのです。

どこにも居場所がない。
私はいったい何をしているんだろう。
すっかり自信をなくし、強い孤独感を抱えました。
「結局は、私の努力が足りなかったのかもしれない」と、自分を責めたこともあります。

ちょうど同じ頃、母の認知症も進行し、自分の力ではどうにもできないことが増えていきました。
仕事も、母のことも、自分の思い通りにはならない。
自分が頑張ればなんとかなると思っていたものが、次々とそうではなくなっていきました。

その後、母は施設に入り、ようやく私自身も穏やかな日常を過ごせるようになりました。
振り返れば、あの苦しかった時間も、これからの人生の後半に向かうために必要な通過点だったのかもしれません。
今は、そんなふうに少し静かに受け止められるようになっています。

日常を緩めてくれるもの

お店は一人でやっていたので、業務を効率よくこなす必要があり、常に何かに追われていました。その感覚が、今でもなかなか抜けません。
ご飯を食べながら調べものをしたり、「あれもやらなくちゃ」「これも早くやらなくちゃ」と、つい気ばかり焦って、せっかちになってしまうことがあります。

そんな私を緩めてくれるのが、少し前に迎えた保護猫のトラちゃんです。
施設に入った一人暮らしのおばあさんが可愛がっていた高齢猫で、人間ならちょうど還暦を迎えるくらい。
酸いも甘いも噛み分けてきたような、どっしりした貫禄の持ち主です。
もちろん、体もどっしり!笑

トラちゃんは、ご飯を食べると、すぐに横になってゴロゴロし始めます。
今もパソコンに向かう私の隣で、小さないびきをかいて寝ています。
「そんなにすぐ寝るの?」と思うくらい、何の迷いもなく寝る。笑
その無防備で脱力した姿を見ていると、なんだかおかしくて、自然と私の肩の力も抜けていきます。

そして、もうひとつ。
最近参加しているMAMEHICOのMEET&EATの会も、私にとって大切な時間になっています。

紫香邸のお庭を眺めながら、季節の風や音、匂いを感じる。
丁寧につくられた食事を、ちゃんと味わう。

つい頭の中が忙しくなりがちな私にとって、思考を鎮めて、五感を使って「今」を楽しむ時間です。
「次は何が食べられるのかな?」という楽しみまで増えました。笑

不完全でも、自分にOKを出す

私はゼロから何かを形にすることが好きです。
好きなものを見つけて、それを仕事にしていくことが好きでした。
自分が「これ、いいな」と思うものを選んで、お店に並べる。
それを誰かが気に入ってくれて、自分の好きなものが人の手に渡っていくことが、楽しかったのだと思います。

ただ、商売としてやる以上、どんなに情熱をもって生み出しても、買ってもらえなければ成立しません。
そういう虚しい現実も経験してきました。

「これ、本当に喜ばれる?」
「満足してもらえる?」
「お金を出してもらえる?」
いつの頃からか、そんなことを考えてからでないと、動けなくなっていました。

もちろん、お客さんに満足してもらえるものを提供することは、商売をするうえで大切なことでした。
でも、その目線が、いつの間にか自分自身にも向くようになっていたのだと思います。

「まだまだ、これじゃダメ」
「納得できてない…」
そうやって、最初から高い理想を描きすぎて、自分で自分を楽しめなくしてしまう。
何かを表現することにも、慎重になってしまう。

だから私は、何の躊躇もなく、ただ好きなことを自分の喜びのまま楽しめる人を見ると、ちょっぴり羨ましくなるのかもしれません。

先日、井川さんのお話の中で、「子どもの頃のような無邪気な自分に戻る」という言葉がありました。
その言葉が、とても印象に残っています。

子どもの頃は、絵を描くときに「これ、上手に描けているかな」なんて考えなかった。
歌うときだって、音程なんて気にしない。
何かの役に立つのか、誰かに認めてもらえるのか、この先何になるのか。
そんなことは考えず、ただ楽しいからやっていた。
大人になった今、私はそんな、子どもの頃の混じり気のない感性が恋しいのかもしれません。

不完全でもいい。不格好でもいい。中途半端でもいい。
そんな自分に、ちゃんとOKを出すこと。
想像していた自分の姿とかけ離れていたとしても、自虐するのではなく、「まあ、これも私だよね」と、愛情をもってそのギャップを面白がる。

そんなふうに自分と付き合えるようになったら、また何か違うものが見えてくるのかな。
今はまだ、ぼんやりとそんなことを考えています。