03
「自分を知る」ってなんだろう
私はずっと、「変わりたい」と思ってきました。
もっと賢くなりたい。
もっと格好よくなりたい。
もっと洒落た人になりたい。
あんなふうにできたらいいな。
こんなふうになれたらいいな。
そんなことを思いながら、気がつけば人生の後半です。
振り返ってみると、いつも誰かと自分を比べて、「もっといい何か」を探していたように思います。
もっと違う自分になりたい
そもそも私は、子どもの頃から、あまり考えずに行き当たりばったりで生きていました。
本来は大らかで、小さなことはあまり気にしません。
ところが、潔癖な母の厳しい躾のなかで、「ちゃんとする」ことを覚えていきました。
自分の性質をそのまま出すより、外から自分を見て、「こうしておけば大丈夫」と考えるようになりました。
よく言えば、客観視ができる子だったのかもしれません。
でも、本当は、自分そのものでいると打たれるのが怖かったのだと思います。
だから、自分を表現する代わりに、周りに合わせました。
それでも、頭の中は自由でした。
「私はいずれ科学忍者隊ガッチャマン6号になるんだ」と、真剣に思っていました。
今考えると、ずいぶん変な子どもです。笑

面白そう、で選んだ
高校に入っても、「普通でいよう」ともがいていました。
そんな私でしたが、仕事を選ぶときだけは、どうしても自分の感覚を曲げられませんでした。
専門学校を卒業して、舞台美術の仕事を探していたとき、経済的に安定した大手企業の営業職を勧められました。
ありがたい助言でしたが、「それは違う」と思いました。
私は、安定した仕事をするために勉強したわけではありません。
舞台美術の仕事がしたかったのです。
なかなか仕事が決まらず、焦っていたとき、舞台美術家のもとで一名募集していると聞きました。
仕事の写真を見た瞬間、
「わ! 世界は違うけど、すごくエキサイティング!」
と興奮しました。
そこから、私の仕事人生が始まりました。
その後、事故をきっかけに会社を辞めたりもしましたが、30歳で独立しました。
安定とは程遠い人生でしたが、仕事については、案外、自分の感覚を信じてきたのだと思います。
「これは違う」
「こっちのほうが面白そう」
そんな感覚には、わりと素直に従ってきました。
外に答えを探していた
ところが、人生そのものになると、私はいつも「もっと違う何か」を探していました。
「もしかしたら、ここに何かあるかもしれない」
そんな期待を持って、興味のない場所にも出かけていきました。
仕事を選ぶときは、自分の「これは違う」を信じられたのに、人生に迷った途端、私は外に答えを探しに行っていたのです。
「もっといい何かになりたい」。
その気持ちが、私をいつも外へ外へと連れていきました。
年を重ねるごとに、もっと賢く、もっと大人になっていると思っていました。
でも、よくよく振り返ってみると、精神年齢も価値観も、16歳の頃からあまり変わっていません。
私は、変わりたかったのよね?
そう思ってきたけれど、少し違ったのだと思います。
私は、変わりたかったのではなく、素顔の自分を直視するのが怖かったのです。

自分玉を知る
私は、しつこいし、わがままだし、好き嫌いも激しい。
譲れないものも、たくさんあります。
そういうものは、思い通りには変えられません。
自分の根っこにある、血肉のような、自分を構成するもの。
私はそれを「自分玉」と呼んでいます。
自分玉は、たぶん簡単には変えられない。
でも、それをまっすぐ表現することはできるのだと思います。
思えば私は、そこが苦手だったのです。
自分の中に「こうしたい」「これは嫌だ」というものがあっても、それをそのまま表現するのが怖い。
だから外側を見て、誰かと比べて、「もっといい自分になろう」としてきました。
でも、本当に変えたかったのは、自分そのものではなく、そうやって自分を出せずにいる不自由さだったのだと思います。
そう考えると、これまでの「変わりたい」も、少し違って見えてきます。
探していたものは、最初から自分の中にあったのかもしれません。
私にとって大事なのは、外側を見て「どうなりたいか」を考えることではなく、今、自分が何を感じているのか。
どう思っているのか。
なぜ、こんなふうに反応したのか。
そんな自分とのやりとりなのだと思います。
自分玉を変えるのではなく、自分玉を知る。
そして、その自分とどう付き合っていくのかを考える。
それが、これからの人生でいちばん大事な仕事なのかもしれません。







コメント 0
コメントを投稿するには ログイン してください。