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本当はどうしたい?
変わりたいけれど…、このお題をいただいたとき、最初に浮かんだのは、変わりたいかな、私?という問いでした。
そのまま少し考えているうちに、数年前のことを思い出しました。あの頃は、本当に変わりたいと思っていたんです。
〇〇ちゃんのママ
夫の転職で、神奈川から神戸へ移ることになりました。正社員は辞めました。娘が0歳でしたから、しばらくは家にいることになったわけです。
娘といる毎日は、幸せでした。これからは母親として、妻として、家族を支えていこう。そう思っていました。嘘ではありません。
ただ、そう思いながら、SNSを開くんですね。友人が仕事の話を書いている。すごいな、と思う。思うんですが、そのあとに少し胸が苦しくなる。
社会から遠ざかってしまったな、とか。私が主役の人生は終わったんだな、とか。そういうことを、なんとなく思っていました。
名前で呼ばれることが減って、〇〇ちゃんのママ、と呼ばれることが増えました。それが嫌だったわけではありません。ただ、私という輪郭が少しずつ薄くなっていくような感じは、ありました。
その感じには、あまり触らないようにしていました。かわりに、完璧な母親になろう、家事も育児もちゃんとやろう、と考えました。目の前のことに集中していれば、考えなくて済みますから。
資格証が届いた日
でも、今のままではだめだ、私には何かが足りない、という気持ちは、消えませんでした。
育児の合間に勉強して、通信講座で保育士の資格を取りました。
資格証が届いた日は、嬉しかったんです。これで少しは自信が持てるかもしれない。何かが変わるかもしれない。
数日で、元に戻りました。
資格は増えたのに、あの足りない感じは、そのままそこにありました。今から思えば、私はずっと、何かを足すことで自分を変えようとしていたわけです。足りないのは、資格ではなかったのに。

足りないものを探して答えをくれないひと
そのあと、家族で三年間、アメリカに住むことになりました。そこでコーチングというものに出会いました。
答えは自分の中にある。最初、この言葉の意味がわかりませんでした。私はずっと、答えというのは教えてもらうもの、アドバイスをもらうものだと思っていましたから。
でもコーチは、答えをくれませんでした。かわりに、問いを投げかけてくる。その問いに向き合って、自分の本音を言葉にしていく。苦しいこともあったし、涙が出ることもありました。いちばん覚えているのは、この質問です。
「それって、本当にまいさんが望んでいることですか。」
言葉に詰まりました。頭の中では、もちろん望んでいます、と答えようとしている。なのに、その言葉が出てこない。そのとき初めて、私は本当はどうしたいんだろう、と自分に聞いていました。
それまでも、自分で考えて選んできたつもりでいました。でも振り返ってみると、選んでいたのは、一般的にはこちらのほうが正しい、母親ならこうするべき、この年齢ならこう生きるもの、という、外側にあるものばかりだったんですね。
誰かに強制されたわけではありません。こうしなさいと言われたこともない。それなのに、自分のほうから正解へ寄っていって、自分の気持ちを後回しにしていました。
それ以来、私は本当はどうしたい、というのが、何かを選ぶたびに自分に向ける言葉になりました。

問いといっしょに生きる
コーチングを受け続けてよかったと思うのは、大きな答えが出た瞬間、ということではないんです。あるとき、前より生きるのが楽になったな、と気づく。そういう感じです。
それまでは、ちゃんとしなければ、期待に応えなければ、もっと頑張らなければ、と、知らないうちに鎧のようなものを着ていました。対話を重ねるうちに、これは少しずつ降ろしても大丈夫らしい、と思えるようになりました。
今でも迷うし、不安になります。ただ、外側に正解を探しにいくのではなく、私はどうしたい、と自分に聞いて、自分で選べるようになった。楽になったというのは、たぶんそういうことです。
今は、コーチとして誰かと向き合う時間があります。かつての私と同じように、ちゃんとしなければ、と頑張って、自分の本音を後回しにしている方がいる。その方が、対話の中で自分の言葉を見つけていく。そこに立ち会うたびに、ああ、これだったんだな、と思います。
母であり、妻であり、コーチでもあります。役割はこれからも変わっていくのだと思います。答えは、出ないのかもしれません。でも今は、それでいいような気がしています。迷いながら、私は本当はどうしたい、と聞き続けながら、生きていきたいです。






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