世田谷駅→松陰神社前駅
「ひと駅歩いて」の第4回ができました。
今回は入日茜さんと、MAMEHICOのスタッフ・山田澪菜さんが、
東急世田谷線の世田谷駅から、松陰神社前駅までを歩いています。
澪菜さんは、世田谷線の育ちです。
小学三年のとき、お父さんが松陰神社前の商店街に精肉店を構えた。
お父さんは、バングラデシュの生まれです。
ダッカから離れた田舎の、十人兄弟の家に生まれて、
学校を途中でやめ、十七歳で日本に来て、
朝から晩まで働いて、稼ぎのほとんどを故郷に送った。
勤め先の精肉店の先代が亡くなるとき、店を託されて、
日本の屋号をそのまま継いだという苦労人です。
娘の澪菜さんは、自分は何人なんだろう、という問いを抱えて、
ひとりでいるほうが楽だと思うようになっていった。
中学のとき、テレビのチャンネル争いという些細なきっかけで、
外で投げつけられた言葉を、
そのまま、お父さんにぶつけてしまう。
それきり、ふたりは目を見て話せなくなった。
「私がパパに、甘えていいよって言いたい。
そして私も、甘えたい」。
編集していて、この言葉のところで、手が止まりました。
甘えていいよって、言いたい。
親に向かって娘が言うには、逆さまの言葉でしょう。
甘えさせてよ、じゃない。
先に、お父さんに甘えることを許してあげたい、と言うんです。
考えてみれば、お父さんは、
子ども時代に、子どもをしてこなかった。
十七で国を出て、甘える相手も暇もないまま、大人になった。
甘えられないまま親になったヒトの娘は、
また、甘えられずに育つ。
傷は、こうやって連鎖する。
誰も悪くないのに、順送りになっていく。
澪菜さんは、頭では、それがわかっている。
わかっているから、パパも甘えていい、と言える。
だけど気持ちのほうは、私も甘えたい、と言っている。
甘やかされた。けど、気持ちは理解されなかった。
その二つのあいだで、もう頭がこんがらがって、
長いこと、混乱してきたんだと思います。
その澪菜さんはいま、MAMEHICOで働きながら、
小さなことを認めてもらう経験を、重ねています。
子ども時代に甘えたかった気持ちを、
いま、MAMEHICOでしている。
そうしたら、
生きていても無意味なんじゃないか、という長年の癖が、
芽生えづらくなってきた。そう話してくれました。
自分は何人なんだろう、という問いに、
正しい答えはないんだと思います。
ヒトの居場所は、血や国籍で決まるんじゃなくて、
誰に受け入れられたかで、決まる。
ぜひ、見てみてください。
そして、感想も書き込んでください。






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