西太子堂駅→三軒茶屋駅
この番組を制作している、井川です。
「ひと駅歩いて」、第3回。今回は、東急世田谷線の西太子堂駅から三軒茶屋駅まで。歩くのは、入日茜さんと、高田由衣さんです。
高田さん、ボクたちはゆいちゃんと呼んでいますが、彼女は今年、三軒茶屋のスタッフになりました。生まれも育ちも三軒茶屋。祖父母の、そのまた上の代からこの町に住んでいて、お店には開店当初からお客さんとして来てくれていました。二十年通って、カウンターの内側に回った。そういうヒトです。
三軒茶屋は変わった、とゆいちゃんは言います。住みたい街のランキングに入ってから、若いヒトが増えて、賑やかになった。そのぶん、顔見知りだらけの密な町ではなくなった。幼稚園の盆踊りをやった公園は、遊び方の決まりばかり増えてしまった。自転車の練習を、知らないおじさんたちに見張られる。転んでも転んでも、やらされる。そういうことは、もう起きない。
その変化を、ゆいちゃんはヒト一倍さみしがっています。映像の端々に、純粋な少女の顔がふっと出てきて、出てきたそばから隠そうとする。だからいろんな顔を見せますが、ぜんぶ照れ隠しなんです。
一方の入日さんは、福井の田舎の密な関係が苦手で、東京に出てきたヒトです。育った環境は対照的ですが、ふたりに共通するのは、多感な時期を迎えたひとり娘の母親だということです。
ゆいちゃんは、母として、妻として、その場でどう振る舞えばいいか、そればかり考えてきたといいます。けれど、その子育ても終わろうとしている。これからの自分の人生を、どうしていこうか。そんなことをぼんやり悩んでいたときに、声をかけられて、MAMEHICOに飛び込んだのだそうです。本人曰く、石橋を叩いて割ってしまうタイプの自分が、ひょいと誘いに乗ったのが不思議だと。縁とは、そういうものです。
編集していて、いちばん残ったのは、この言葉です。
MAMEHICOは、役割がなくてもいられる場所。お母さんでも奥さんでもなく、私のまんまでいられる場所。そんなふうに、何者でもないもの同士が、これが得意だからやるよ、これが好きだからどう、と言い合える関係が築けたら、たぶんそれがいちばん幸せだろう、と。入日さんはそれを受けて、そうなったら世界平和ですね、と言っています。
たぶん、ゆいちゃんの言うそれは、理想ではありません。かつての三軒茶屋がそうだった、ということなんです。ヒトは、子ども時代に経験した豊かなものを、なんとか維持しようとする健気な存在です。かつては、町そのものが、役割とは別の顔を持つヒトたちの場所だった。八百屋のおじちゃんにも、怖い豆腐屋のおばちゃんにも、店主としての役割はあったでしょうが、それとは別の顔が見えた。子どもは、そのふたつの顔を見て、いろんな情緒を育んだはずです。町の密さが薄れたいま、ふたつの顔は消えて、ひとつの顔ばかりが街にある。
さて、自分の娘は、その情緒をどこで育めばいいのか。自分が育った街で自分の子どもを育てているのに、自分が豊かだと感じた体験をさせてあげられない。ゆいちゃんは子育てのなかで、ずっとそこに苛立ち、さみしいと感じてきたはずです。それは、動画を見れば伝わります。
街場の喫茶店がぜんぶチェーンのカフェになってしまったら、さてどうなるのでしょうか。東京は、ヒトが変わったとはいえ、街があるだけまだマシなのかもしれません。地方に行けば、街そのものが存続できない状況が、いくらでもあるわけですから。
少女だったゆいちゃんがおとなになって感じている、苛立ち、諦め、悔しさ、それでもまだなんとかしたいという気持ち。今回は、そこに打たれました。
まぁ、あとは見てみてください。そして、ぜひあなたの感想も書き込んでください。





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