
始めて、続ける
ホームページの手直しをずっと続けているわけです。もう、あちこちつぎはぎだらけで、突然、動かなくなったり、ボタンが押せなくなったり。何かの拍子に全部白紙になったりする。いよいよどうにもならなくなって、「これは全部つくり直したほうが早い」と思って、一からやり直す。 でも、それでも完璧にはなりません。ずっ

ホームページの手直しをずっと続けているわけです。もう、あちこちつぎはぎだらけで、突然、動かなくなったり、ボタンが押せなくなったり。何かの拍子に全部白紙になったりする。いよいよどうにもならなくなって、「これは全部つくり直したほうが早い」と思って、一からやり直す。 でも、それでも完璧にはなりません。ずっ

2000年ごろ、ボクはテレビディレクターとしてニューヨークに住んでたんです。すごい大都会ですが、街を歩けば誰でも入れる教会があちこちにある。「ああ、いいな」と思ったんです。 教会って、「個」としてひとりで祈れる場所でもあるけれど、「集」としてヒトとつながる場所でもあるでしょ。内にも外にも開かれてる。

あのですね。ずっとむかしから、ボクはほんとに個人的趣味で、ラジオを録ったり、映画を撮ったりしてきたんですね。それは誰かに認められたいとか、そういうことじゃなくて、ただ自分が「面白いから」と思って続けてきた。MAMEHICOも二十年になりますから、今までも、ずいぶんとお店を舞台にしたり、そのときのお客

エトワール★ヨシノの一人芝居「脱走兵と群衆」がひとまず終わりました。 舞台というのは、お客さんからすればひとつのイベントにすぎないでしょうけど、当事者にとってはそう簡単ではありません。脚本準備から稽古、本番に至るまで、相当な時間と体力を費やします。細かいことの積み重ねの果てに、たった二時間の本番があ

つい先日、初演を終えた、エトワール★ヨシノの一人舞台『脱走兵』。 舞台というのは、表に出るのはたった数時間の上演なんですがね。その裏側には膨大な準備が必要です。音楽、照明、舞台転換、美術、興行──どれも少しのズレが、大きな失敗につながるので、小さな違和感も「まあいいか」で済ませず、確認を重ね、修正し

目を背けたくなるような痛ましい暴力事件が、次々とニュースから流れてくる。「世の中、結局は暴力なのか」と嘆かわしくなる。けれど、嘆くだけで何もしなければ世の中は良くならない。暴力や理不尽に毅然と立ち向かい、声を挙げなければ、それは黙認と同じであり、暴力に暗に加担しているのだと言われても仕方がない。 ―

なんでメンバーシップ制なのか。よく聞かれる質問です。時には「なんでそんなややこしいことをするのか」と怒られることもあります。けれど、ボクたちがやろうとしているのは、当たり前のことを当たり前にしたい、それだけなのです。 たとえば。バターならちゃんとバターを使いたい。牛乳なら牛乳をそのまま使いたい。それ

「脱走兵と群衆」がまもなく差し迫ってる中、稽古と準備真っ只中です。とにかく、すべてがボクにかかってるわけで。そんなとき、ボクよりうんと若いヒトから、「井川さんにとって、生きるとはなんですか」そんな直球を投げられたんです。 そんなもの、答えられるわけないじゃないかっ。生きる意味なんてわかってたら、こん

MAMEHICO銀座が三年になろうとしています。 始まりはコロナ禍。渋谷店を閉めるかどうか迷っていたときに、「銀座でやってみませんか」と声をかけてもらったのがきっかけでした。 勢いで始めた「ステージ付きのカフェ」。半分は流れ、半分はとにかくやってみるか、と。そうして気がつけば三年が経ちました。 やっ

敏感なお客様ならお気づきでしょう。最近、MAMEHICOの30代、40代のスタッフたちの顔に、「このままじゃまずい」という焦りの影が、はっきりと浮かんでいることを。そうなのです。いまメインスタッフは、大きな決断を迫られているのです。 銀座も神戸も桐生も──現場でよく出る話といえば、「果たして、明日い

神戸のお店が忙しくなってきています。「苦節三年」とはよく言いますが、この9月で開店から三年を迎え、ようやく地域に認知されてきたようで、お客さんが来てくださるようになりました。 当初、神戸のスタッフは「この御影の場所で、お客さんが来てくれるか」を心配していました。まぁ、その心配はわからないじゃない。け

先週、三軒茶屋でMAMEHICO二十周年のパーティーをやりました。古くから通ってくれているヒト、最近通いはじめたヒト、かつて一緒に働いたスタッフ、舞台に関わったヒト──いろんなヒトたちが集まった夜でした。 二十年を祝うパーティーといっても、派手なことはとくにしたくない。じゃあ集まって何をしたのかとい