アンバランスの記憶

MAMEHICOをやって、今年で21年目になります。潰れないことに必死で、良かったと思えた時代は、ただの一度もないんですよね。それが正直なところなんです。
最近、若い子たちと話すとね、彼女ら自身は何かに困っているという顔をしているわけじゃないんですが、ただ、どこか虚しい、という気配が漂っている。特にそれを強く感じるのは、地方から東京に出てきて働いている女の子たちですね。地元に戻ろうにも、もう仕事はない。かといって東京にいても、家賃のために働いて、SNSを眺めて寝るだけで、自分は何かの歯車として動いているだけなのだと感じてる。結婚しようにも相手もいなければ、子供を産んでこの先を生きていく未来も見えにくい。このまま自分はどこへ向かっていけばいいんでしょうね、っていうためいきがね、もう本当にあちこちから聞こえるわけですよ。
ボクはね、若い子たちのその虚しさというのは、個人の性格とか弱さの問題というよりは(もちろんそういう部分もすごく大きいけど)、この30年、40年で日本社会が失ってきたものと地続きだと思っているんですよ。よく「失われた30年」と言いますけれど、ボクはね、この間に失われたのは経済成長だけじゃないと思ってる。
地域の共同体が消えた。顔の見える関係が消えた。雇用の安定と引き換えに、場所への帰属感というものも消えていったわけです。商店街はシャッターが降り、代わりに入ってきたのはチェーン店ですね。どこに行っても同じ空間、マニュアル通りの接客、どこでも同じ商品。地方に行ったら地域らしいものがあるかというと、そうでもなくて、むしろチェーン店の方が幅を利かせている、というのが今の風景なんですよ。
チェーン店の椅子に座って、注文して、食べて、出ていく。そこにあるのは「座席を時間で貸し出す」というサービスです。お金を払っている間だけここにいていい、払い終わったら出ていく。これはいわゆる契約であって、つまりね、払った金額と受け取ったサービスがぴったり釣り合う、プラスマイナスゼロの関係なんですよ。
そういうところでは、お客さんはデータのひとつでしかないんです。あなたというヒトの名前でも顔でも特徴でもなく、購入履歴だけがデータとして残る。大きい組織ほど、経営者はそういう目でしか見ていないはずなんですね。で、それが積み重なって、あなたというヒトが、いつの間にか「消費者」というデータのひとつにすり替わってしまっていた。気づかないうちにそうなってしまった、ということがね、じわじわとヒトを傷つけてきたんじゃないかとボクは思ってるわけですよ。
ところがね、あなたの人生を振り返ってみてくださいよ。今自分の周りにいる大事なヒトって、そういうプラスマイナスゼロの関係から生まれたヒトではないはずでしょう。
赤ん坊はお母さんとプラスマイナスゼロの関係でいるわけじゃないでしょう。最初からアンバランスなんです。
MAMEHICOでもそうですよ。お店が混んでいたときにお客さんに下げ物を手伝ってもらったことがあるんです。こちらはどん底の時期に声をかけてもらって、返しきれないくらいの何かをもらったという気持ちがある。そのアンバランスさが記憶になる。記憶になったものが、関係になっていくわけです。
上司に奢ってもらった。頼まれてもないのに手伝ってくれた。このアンバランスというものがね、あなたの記憶に刻まれるんですよ。等価交換の関係からは、何も生まれないんです。アンバランスな関係だからこそ、記憶が残り、そこから何かが始まる。
何十年と等価交換の関係だけを積み重ねてきた結果、社会はどこへ行ったか。MAMEHICOに来てくれるお客さんやスタッフが感じている「温かさ」というのは、おそらくその反動なんだと思っているんですね。温かさは時に鬱陶しくもある。MAMEHICOの付き合い方が苦手だというヒトも、もちろんいるでしょう。それはそれでいいわけですよ。
ただボクはね、このアンバランスな関係から記憶が生まれて、それが人生において大事な関係になっていくということを、MAMEHICOでやり続けたいと思っているんです。
このアンバランスを、店としてずっと続けていくにはどうしたらいいか。それがMAMEHICOの難しいところでもあり、面白いところでもあるわけですがね。

何気ない言葉の中に、ふと立ち止まるきっかけがあります。
ぜひ一度、耳を傾けてみてください。






