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古き良き単位

「ひょっとしてMAMEHICOをお探しですか? よかったら一緒に行きましょう」

そんなセツオさんの案内で扉を開ければ、聞こえてくるのはコーヒーを淹れる音と、お客さまたちの楽しそうな会話。
今回の面白RADIOのテーマは、「古き良き単位」です。

昔の単位は、今も言葉の中に

尺貫法の話を聞いていて、面白いなと思ったのは、今では実際にどれくらいの長さなのかを知らなくても、「寸」や「尺」という言葉は、私たちの中にちゃんと残っていることです。

「一寸先は闇」、「寸止め」などの言葉もそうですし、小さいころに読んだ「一寸法師」もそうですよね。
あの男の子が「一寸」だったのかと思うと、今さらながら、そうだったのか!と思います。笑

また尺と言えば、小さなころ手遊びをしながらよく歌っていた「アルプス一万尺」という歌があります。
「アルプス一万尺 小槍の上で アルペン踊りをさあ踊りましょう」という歌詞ですが、一尺が約30センチなので、一万尺は約3000メートル。
歌に出てくる「小槍」は、北アルプスの槍ヶ岳山頂付近にある小さな岩峰のことだそうで、その標高が約3030メートルなんだそうです。

子どものころは何も考えずに歌っていましたが、まさか「一万尺」がこんなに高い場所だったとは!
そんなところで「踊りましょう」って歌っていたのかと思うと、なんだか面白いですよね。

ものさしは、人それぞれ

こうしてラジオを聞いてみると、普段は気にも留めていなかった言葉の中にも、昔の人の暮らしが残っているんだなと思います。
なかでも印象に残ったのが、「咫(あた)」という長さの表現でした。

「あた」は、自分の手を使って長さを測るものだそうです。
人の身体そのものが、ものさしになっていたんですね。
でも、人の身体はそれぞれ違います。
だから、測る人によって少しずつ違ってくる。
今の感覚からすると、「それでいいの?」と思ってしまいます。

だけど、ラジオの中で大工の親方はこう言います。
「それでいい。人それぞれだ、違っていい」
さらには、「他人のものさしを信じるな。自分がものさしになれ」と。
なんとも懐の深い言葉ではないでしょうか。

自分の身体を使って、自分の感覚で長さを覚える。
多少の違いを「間違い」とするのではなく、それぞれの違いとして受け入れていたのかもしれないと思うと、とても温かい気持ちになりました。
メートル法で育った私にとっては、大人が測っても子供が測っても3センチは3センチ、ですからね。

実家にあった、不思議なものさし

この話を聞いていて思い出したのが、私の実家にあったものさしです。
母が和裁の仕事をしていた我が家には、鯨尺のものさしがたくさんありました。

その中に、片側に尺の目盛り、反対側にはセンチの目盛りが付いているものがありました。
小学生の頃それを見て、「不思議なものさしだな、どうしてこんなものがあるんだろう?学校では見たことないなぁ」なんて思っていました。

今回のラジオを聞いて、尺貫法とメートル法が併用されていた時代のものだったんだ、とわかりました。
子どものころは、ただ不思議だと思って見ていたものが、何十年も経ってから、その理由を知る。そんなこともあるんだなと思いました。

尺貫法からメートル法へ移っていく中で、永六輔さんが尺貫法を守ろうとした話も出てきました。
それを聞いて、単位を変えるというのは、単に数字を変えるということではないんだなと思いました。

単位の向こうには、それを使って暮らしてきた人たちがいる。
和服を仕立てる人、大工、それぞれの仕事で使ってきたものさしがある。
長年使ってきた道具や身体の感覚まで含めて、その人たちの仕事や文化ができているんですよね。
だから、新しいものを取り入れることと、古いものを残すことは、どちらか一方ではないのだと思います。

古いものと、新しいものと

今回のラジオを聞いて、私が大切だと思ったのは、「併存」ということです。
メートル法を使いながら、必要な人は尺を使う。
そういう選択肢が残っていることが、文化を次の世代へ受け継いでいくことにつながるのではないでしょうか。

そう考えると、実家に残っているあの鯨尺とセンチのものさしが、なんだか象徴的なものに思えてきます。
尺とセンチが一本のものさしの中に並んでいる。
子どものころは、ただ「不思議なものさし」だと思っていました。
でも今になってみると、あれは時代の変化そのものだったんですね。

私たちが今どこに立っているかを、ものさしという道具から知ることになるとは思いもしませんでした。
今では母のタンスの上で、ひっそりと使われることなく眠っていますが、今度我が家に持ち帰って、時代の生き証人として大切に次の世代へ受け継いでいこうと思います。