アリストテレス的しあわせ
「もしかしてMAMEHICOをお探しですか? よかったら一緒に行きましょう」
そんなセツオさんの案内で扉を開ければ、聞こえてくるのはコーヒーを淹れる音と、お客さまたちの楽しそうな会話。
今回のMAMEHICO「面白RADIO」のテーマは、「アリストテレス的しあわせ」です。
幸せになりたいなぁ
ラジオの冒頭、「幸せになりたいなぁ」と、哲学少女のレナちゃんがため息交じりにセツオさんへ話しかけます。
「今も幸せじゃないわけじゃないんだけど、もっと大きな、特別な幸せがあるんじゃないかって…」
毎日が同じように過ぎていくことに、どこか物足りなさを感じているようです。
そんなレナちゃんの言葉に、私はまずハッとしました。
私はそもそも、「幸せになりたい」と思って生きているのかな? と。
皆さんはどうですか?
振り返ってみると、私は10代後半までは確かにそう思って生きていました。
今思えば、その頃に思い描いていた幸せは、「幸せじゃないことが起こりませんように」という願いに近かった気がします。
20代以降、「幸せになりたい」と思った記憶はありません。目の前のことに必死だったからかもしれません。
そして当時の私は、アリストテレスでいう「長続きしない快楽的なしあわせ」に目を向けていました。
楽しいことはたくさんあったけれど、いつもどこか不安でした。
今思えば、消費を通して幸せを求める時代だったのかもしれません。
消費とは別のところで幸せを築けなければ、この不安はずっと付きまとう。
そのことに気づいたのは、40代になってからでした。
習慣が、幸せを育てる
セツオさんもレナちゃんにこう話します。
「たぶん楽しいことは外からやってくるけど、幸せはもう少し内側にあるものだと思うんですよ」
いつもの暮らしの中に幸せはある。
そんなことを教えてくれているように感じました。
「あー、でもいつもの暮らしの中の幸せ、どうやって見つけるんですかねぇ」
そう尋ねるレナちゃんの前に現れたのが、「日本アリストテレスを考える会」会長のポセイドン太田さんです。
太田さんは、まずアリストテレスという人物について話してくれます。
アリストテレスは紀元前384年、古代ギリシャに生まれた哲学者です。
17歳でプラトンの学園に入り学びますが、やがて師とは異なる考えを持つようになります。
プラトンが「真の現実は別の場所にある」と考えたのに対し、アリストテレスは「現実は目の前にある。この世界を研究しなければならない」と考えました。
約2400年前のひとの言葉が、今の私たちの暮らしにも響くというのは驚きです。
晩年の著書『ニコマコス倫理学』では、幸福について語られています。
アリストテレスは、喜びや楽しみといった一時的な感情を「快楽」と呼び、それとは別に、積み重なっていく幸福を「エウダイモニア」と考えました。
では、その幸福は何を積み重ねることで育つのでしょうか。
その答えが「アレテー」、つまり「徳」です。
アリストテレスは、人間の徳とは理性であり、感情に流されず、物事を正しく判断し、適切に行動することだと言います。そして、その徳は日々の「習慣」によって身についていくのだと。
ここで一気に、話が自分の日常と結びついた気がしました。
実は私は、一年前から人生で初めての一人暮らしをしています。
子どもたちは社会人になって家を出ていき、夫は単身赴任。
何にも拘束されず、自由といえば自由です。
毎日のご飯だって何時に食べてもいいし、作らなくたって誰にも迷惑はかかりません。
はじめのうちは「なんて楽なんだろう」と思っていました。
でもそのうち、自分の中に違和感が生まれてきたのです。
しんどいと思ったこともあったけれど、家族のために部屋を片付け、洗濯をし、ご飯を作り、食卓を囲む。
そんなふうに何十年も積み重ねてきた毎日の暮らしが、知らず知らずのうちに私の習慣になっていたのだと思います。
だから、それをやめてしまうと、「あれ? なんだかおかしい。うまく生活が回らないな」と感じるほどになっていたのです。
皆さんにも、そんな経験はありませんか。
誰かと過ごしたあの街、あの時間。
煩わしいとさえ思っていた日々が、本当は大好きで、大切な時間だったと、失ってから気づくこと。
ラジオの中でまいこさんが話していたエピソードも、そのことをよく表しているように思いました。
ラジオの後半では、アリストテレスの遺言も紹介されます。
これが実に面白いんです。
「幸福とは」「徳を積むとは」と大きなテーマを語ってきたアリストテレスが、人生の晩年には毎日家族のことを考えていた。
急に親近感が湧きました(笑)。
敵をつくらない共同体
でも、ここにはとても共感しました。
ラジオでも布Pさんがおっしゃっていました。
「幸せってでかい話じゃない。毎日そばにいる人のことを考えていることなんだよ」
年齢的なこともあるのかもしれません。
私にとって幸せとは、決して大きな話ではなく、私の周りにいる大切なひとたちの顔が浮かぶような、小さな世界の中にあるものです。
今は、そんな小さな単位で丁寧な暮らしを続けていくことを大切にしています。
その先に幸せが待っているのかはわかりません。
でも、「これでいいんだ」と思えるのです。
私にとっての課題は、それを続けていけるかどうかです。
ラジオの中でも触れられていますが、アリストテレスは、人間は共同体の中で生きる存在だと考えました。
友人や家族、仲間との関わりの中で徳を発揮してこそ、「エウダイモニア」に近づける、と。
でも、共同体というものは少し不思議です。
「私たち」という居場所ができると、そこには自然と「私たちではない誰か」という境界も生まれてしまいます。
ひととつながることは、ひとを支える力になる一方で、誰かを外側に置いてしまう危うさも持っています。
だからこそ、「敵をつくらない共同体」は簡単にはできないのでしょう。
それでも、その難しさから目をそらさず、「どうすれば誰も外に置かない場をつくれるだろう」と考え続けること。
その姿勢そのものが大切なのだと、私は受け取りました。
先住民族研究家の小仏教授も、「知性を持った人たちが集まれる場所こそ、敵をつくらない共同体に一番近い」と話されていました。
MAMEHICOは、そんな問いを持ち続けられる場所なのかもしれません。
こんなことを考えさせてくれるMAMEHICOという場所があることに、心から感謝です。
皆さんは幸せになりたいですか?
皆さんにとっての幸せは何ですか?
コーヒーを飲みながら、ぜひお話を聞かせてくださいね。


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