10月20日、紫香邸と神戸のクラファン始まります
紫香邸は築100年へ!神戸はマフィンのお福分け便!

——大樹町で3年、千歳と月形で合わせて7年。数えると、10年です。井川さんにとって、ハタケマメヒコとは何でしたか?
「やらなきゃ見えないことが、ほんとにたくさんあってね。たくさんのお客さんが、飛行機代も宿代も自腹で、手伝いに来てくれるなんて、思いもよらなかったし。ボクにとっては、学校だった」
——学校、ですか? 何を教わったんですか?
「土を耕して、豆をまいて、雑草をとって、とり入れて、またまく。東京と毎月行き来してたあいだに、ずいぶんきびしい目にもあったし、いろんなことを考えた。一粒の種が土の中で育っていくのを毎年見てると、自分の頭で考えたことなんて、ちっぽけなことだとわかってくる。
自然から学ぶこと。とくに植物から学んだことが、ボクにはとても大きい。北海道でハタケマメヒコを十年やったことが、いまもすごく響いてる」
——雑草からも、ですか?
「雑草どうしの陣取り合戦をじっと見てると、生き残るものが残る、というしくみがよくわかるんだよ。ある株が弱って枯れかけると、そこにアブラムシが集まる。そうすると、ほかの元気な株は守られる。自然の世界では、努力したかどうかなんて関係ない。生き延びたかどうか、それだけ。
頑張ったから報われる、っていう物語はないわけ。
農業は天気が相手だから、一生懸命やっても、天気しだい。でも、それはカフェだって同じで、お客さんしだい。だから、毎日よく見て、やってみて、を繰り返して、せめて取り返しのつかないことにならないように、少しずつ向きを直していく。
運も大事、誠実さも大事、そして続けることが大事。オロオロしても、どうにかなるもんでもない。それを、ハタケマメヒコで教わった」
——植物は、オロオロしませんもんね。
「植物を見てると、ほんとにむだがないと思うよ。どんなトラブルがあっても、その場その場で、うまく切り抜けていく。そもそも豆っていうのは、命のかたまりだからね。あのひと粒から、数えきれないほどの豆ができるんだから、すごい」
——それは、カフェにも言えますか?
「ヒトの気まぐれを相手にするカフェも、自然を相手にするハタケも、同じといえば同じです。どっちも目に見えないものを相手にしてるから、遊びが大事。遊び、という言い方に抵抗があるなら、余裕と言いかえてもいい」
——始める前は「自分でやってみないとわからない」と言っていましたよね。やってみて、何が見えましたか?
「東京と北海道の距離の差より、作るヒトと食べるヒトの考え方の差、地方と東京の見方の差が、すごく大きかった。
ボクらの苦労を、お客さんに自分のこととして考えてもらえなきゃ、しょせん、他人ごとなんだと。
政治を見ても、おんなじことを思うね。
だから、無農薬の野菜を、安いか高いかだけで競わせても、うまくいかないのはわかる」
——じゃあ、何で決まるんでしょう。
「結局、ボクの先生は服部さんだから。誠実におまえはやってるのか、信頼に足るヒトなのか。そこに尽きるよね」

——大樹町、千歳、月形。三つの土地を、ふり返ってみて、どうですか?
「もう、まったくちがうよね。思い出しても、大変なことばかりです」
——何が、大変でしたか?
「東京の者が、北海道に土地を借りて、何かをやる。そのやりにくさは、三つの土地のどこにもあった。夏はハタケ、冬は店という参勤交代がいい、と思って始めたけど、それは、机上の空論だったのかなとも思う」
——土地は、昔からそこに住んで、持っているヒトのもの。よそから来た者は、なかなか入れてもらえない、ということですか?
「別に、意地悪だと思ってるわけじゃないよ。でも、たとえば、畑は買えないでしょ。農家じゃないと、農地は持てない。いまは少しゆるくなったようだけど、それでも、やる前に思ってたのとは、ずいぶんちがってたね。道具や機械をそろえるのにも、お金がかかりすぎる。持っているヒトが偉い。それが、畑の世界。
ただ一方で、北海道では、外国のヒトが森や水の出る土地を買ったり、リゾートで土地の値段が上がったりもしてる。結局はお金なのかな、とも思う。
経済が冷えている地域にとってお金はやっぱり大事なものだからね。ボクたちはどうしてもお金より大事なものを尊重する傾向にある。
ボクたちがまとまった大金を持っててどんと出す、というやり方だったら、もっとちがってただろうね。やりたいことと外れてるけど」
——農業のしくみ。東京と地方の、考え方のちがい。食べるヒトと作るヒトの、見ているもののちがい。いろいろありましたね。
「ほんとに、そうなんだよ。東京で食べるヒトには、畑の手間は見えない。紫花豆にどれだけ手がかかっていても、お客さんにとっては、黒っぽい豆でしかない。地元から見れば、東京から来たボクらは、土地も持たずに口だけ出すよそ者だし、道楽者。見てるものが、ちがいすぎるなあと思う」
——北欧のように、畑と暮らしがゆるやかにつながる、ということは。
「そのあと、九州のヒトと関わってみて、土地ごとの気質というのもあるなと感じたよ。だから、ひとくくりには言えない。
ほんとは、気軽に借りて、気軽に始めて、みんなで楽しむ、というふうになれたらいいのにね。ただそれがしたかっただけなのに、大変な経験を積んだなと思う。
でもやっぱり、あのカオスの時代に身につけたことから、いまのMAMEHICOの考え方も仕組みも、ほとんどが生まれてるから、必要な時間だった気がする。
まあ、無謀なことを始めて色んなものも失って自業自得だ、と言われれば、それまでだけどね」
——自業自得、ですか? でも、お客さんを北海道まで呼ぶなんて、なかなかできませんよ。
「東京には、掃いて捨てるほどカフェがあるでしょ。どの駅前にもチェーンのカフェがあって、効率も、値段も、場所も、ボクたちには勝てるところがない。
だから、大きいところじゃできないこと、自分でも面白いと思えるものを、いろいろ試してみた。
そんなやり方が続くわけがない、馬鹿なんじゃないの、って、近くにいたヒトが離れていったりもしたね。
だけどハタケマメヒコのお手伝いは間違いなく、いまのMAMEHICOそのものだし、そこに関わってくれたたくさんのもう今はいないヒトたちが、店を支えてくれたんだよ」
——お金を払って、何かを受けとる。ふつうの店とお客さんは、そういう関係です。ハタケマメヒコは、そうではありませんでしたね。
「お金というのは等価交換させるものでしょう。
だけど釣り合ってない状態でしか、生まれない関係っていうのもあるよなと、ボクは思う。ハタケマメヒコが、そうだった。ずいぶんお客さんに、お金の面では無理をして手伝ってもらった。わざわざ北海道まで自腹で来てもらって、豆をまいて、ただ帰る。
MAMEHICOが、コロナでもやっていけた理由はこのときの記憶があったからなのは間違いない。そしていまの、メンバーシップ制のイベントカフェに変わった出発点」
——ハタケマメヒコは成功ですか? 失敗ですか?
「お金だけをものさしにしたなら、ハタケマメヒコは失敗だね。やらない方がよかったに決まってる。
もっとやりたいことはいっぱいあった。
ただボクらがやる意味というのは、ボクたちのやり方を突き通すことだと思ってる。
失敗しといてちっとも自慢にはならないけど、やっぱり自分たちのやり方を貫けるかどうかだと思う。そういう意味では貫けたから成功かな」
——今の紫香邸につながってますね。
「店を構えたら、痛くても痒くても、ずっとそこにいなきゃいけない。続けてきた20年で植物が教えてくれたのは、ひとつの場所に根を張って、深く関わることだ。
紫香邸を古い家ごと買ったのはハタケマメヒコの自分のものじゃなきゃ、自分で進退を決めることはできないという痛い教訓だ」
——最後に、もっとうまくやる手は、なかったんですかね。
「あったと思うよ。遊び半分で終わってるからね。でも、おかげで、みんなが生き生きとしたのは間違いないことだよ。
ボクは効率よくやれと言いながら、効率の悪いことこそ大事なんだと、同じ口で言ったりする。でも、どっちも本当だから仕方ない。
この生きものっぽい面倒くささこそ、たくさんのお客さんが、まるで自分事としてうちに関わってくれてる理由だと思う」
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