10月20日、紫香邸と神戸のクラファン始まります

紫香邸は築100年へ!神戸はマフィンのお福分け便!

特集— ハタケマメヒコとは何だったのかM=Hico / What was Hatake Mamehico?

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Bonus: Radio with Mr. Hattori

おまけ 服部さんとのラジオ

遠軽町、服部さんの家で
M=Hico特集
豆で達者に頑張りましょう 北海道老人 服部行夫 ツル
「あなたのおかずのコーナー」その1

貧しかったころの豆料理

北海道遠軽町で、今も馬を使って豆を育てる昔ながらの農家・服部幸夫さんのお宅を訪ね、べにや長谷川商店の長谷川の母さんも交えて、豆づくりと貧しかった時代の食について聞きました。

豆づくりの今と昔

服部さんは「農家は毎年一年生」と言い、農業には決まった法則がないと語ります。今も馬を引き、唐竿(からさお)で豆を叩いて脱穀しています。息子からは「笑われるからやめろ」と言われるそうですが、畑は「猫の額ほど」で、大規模な機械化には向かないといいます。昔はこのあたりの農家はみな馬で豆を作っていました。最も多く取れたのは手亡(てぼう)で、5反の畑から50俵、1反あたり10俵という見事な収穫でした。当時の相場は今ほど高くはありませんが、手亡や小豆は貴重な収入源でした。収穫期には近所5軒ほどから10人ほどが手伝いに集まり、むしろも隣から借りて総出で唐竿を振りました。農家同士の助け合いが当たり前の時代でした。

米が取れない土地の主食

この地域は土地が平らでないため米は作れず、主食は芋、かぼちゃ、豆でした。戦時中はそば、えん麦(馬の餌)、ヒエ、アワも食べました。小麦は粉にできず、皮をむいてついて食べました。押し麦は「少し裕福」な食べ物でした。

塩味の豆料理

豆はすべて煮豆にしましたが、砂糖はもったいないので塩味でした。「味噌は高い、醤油もまあまあ高い、安いのは塩」と子どもたちにも言い聞かせていたそうです。小豆も塩味で、あんこも塩あんでした。小麦粉は上等品だったため、そば団子に塩あんを合わせて食べ、しのいでいました。

常食の煮込みうどん

祖父の代からの常食は、塩味の煮込みうどん(すいとんに近いもの)です。芋、昆布、ごぼう、人参、じゃがいも、長ネギ、蕗(ふき)を入れ、豆は入れません。玉ねぎは贅沢品で作っていませんでした。出汁は、近くの川で取ったカジカやドジョウを干し、手回しのグラインダーで粉にして使いました。特にごぼうが味の決め手です。「それしかないから飽きない、うまい」と服部さんは笑います。

素朴で工夫に満ちた暮らしと、地域の助け合いが伝わるお話でした。

「あなたのおかずのコーナー」その2

コンクリ味噌と、木こりのおにぎり

先週に続き、遠軽町で70年近く豆を作り続ける服部幸夫さん宅から、長谷川の母さんも交えて、貧しかった時代の食について聞きました。

山仕事とクジラ肉

木こりや山の仕事で「飯場(はんば)」に入るとき、ご飯は大釜で炊いてもらえますが、おかずは自分持ちでした。服部さんは10cm角ほどのクジラ肉(脂身)と玉ねぎを持って山へ入りました。

コンクリ味噌

大豆を油で炒め、砂糖で甘くした味噌と合わせた保存食です。戻さずに炒るだけなので水気がなく長持ちしますが、とても硬いです。そのため「コンクリ味噌」と呼ばれました。歯の弱い服部さんの家では、大豆を煮てから入れていました。

巨大な塩おむすび

コンクリ味噌、梅干し、塩鮭(秋あじ)、糠ホッケ、塩鱒などを具にした塩おむすびは、直径30cmほどです。手では握れないので布巾で握り、風呂敷で持っていきました。海苔はありません。これくらい食べないと木こりの体は持たず、汗で塩が抜けるため、しょっぱいものが欠かせませんでした。上着が汗の塩で真っ白になるほどだったそうです。

砂糖事情

昔は砂糖は高級品でした。売られていたのは、白くない「中白」、赤くベトベトした「アイナカ」、白い「太白」、沖縄から来るさとうきびの「玉砂糖」といった砂糖です。ビート(甜菜)は砂糖会社の契約のもとに栽培されていましたが、家でも刻んだビートの汁を外の大釜で煮詰めて「糖水(砂糖飴)」を作り、自家用の砂糖として瓶で保存しました。料理に使ったほか、そば練りやでんぷん練りにつけて食べました。安価な甘味料として、豆や芋にはサッカリンをよく入れて食べたんだそうです。

芋餅

茹でて皮をむいたじゃがいもを、冷めてからすり鉢や臼でつきます。片栗粉は入れなくても本物の餅のようによく伸びる餅ができるそうです。ビートの糖水や自家製ごまだれ、エゴマで食べたものでした。ホクホクした今の男爵のような芋ではうまくできず、昔の赤芋「紅丸」というような澱粉質の多い芋が芋餅には向いていました。

バタバタ焼き

焼くと「ジャー」と音がする料理で、甘い煮豆が作れるほど豊かになってから広まったものなのだそうです。それ以前、煮豆はずっと塩味でした。

「塩しかない時代、それでも美味しかった」という言葉に、当時の暮らしへの愛着がにじむお話でした。

【特集終わり】

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