10月20日、紫香邸と神戸のクラファン始まります

紫香邸は築100年へ!神戸はマフィンのお福分け便!

特集— ハタケマメヒコとは何だったのかM=Hico / What was Hatake Mamehico?

05
Tsukigata, and the End

月形、そしておしまい

2019〜2020年、月形
M=Hico特集
黒いマルチを張る月形の畑

聞いて回る

——千歳は、連作障害で終わったわけですよね。何年もかけて、やっと形になったところで。

「そうなんだよね。週末になると決まって、お客さんが自腹で飛行機に乗って、ハタケを手伝いに来てくれる。そこまでになったのに、そのハタケが、なくなってしまった」

——ふつうなら、そこでやめますよね。

「いや、ボクは、やると決めたら、自分の都合でやめることはないからね。だって、自腹で飛行機に乗って来てくれるヒトたちがいるわけだから。ここでボクがやめたら、その気持ちを、こっちから裏切ることになる。苦しくても続けたものだけが、信頼になるんだと思うから」

——苦しくても、ですか?

「そう。MAMEHICOは、ずっとそうやってきたしね」

——で、次を探しに行くわけですね。もっと広いところを。

「いや、広さより、ヒト。畑に対する考え方が近いヒト。そういうヒトの畑を借りたかった。

大樹、千歳と来て、ハタケではなくヒトを探そうと。

北海道は広いから、探し回ればどこかに、魅力的な出会いがあるかもしれないと思ってさ。

それであちこち聞いて回ったんだけど、なかなか見つからなかったね。

でも、考え方の近いヒトっていうのは、なかなかいない。いるのかもしれないけど、出会えない」

粘土質の硬い土の畑
畑の中で立ち話をする梅木さんたち

梅木さん

——そのなかで縁ができたのが、月形の梅木あゆみさんですね。

「千歳のハタケがまだあった2018年6月16日。月形の園芸の店『コテージガーデン』の誕生日を祝う日に、『一日限りのカフエ マメヒコ』を開いた。昼はマメレットとトマトカレー。お茶の時間には、農場のお菓子。夕方には、ボクが作る特別な料理。そのコテージガーデンを開いたのが、梅木さん」

——梅木さんって、どんなヒトなんですか?

「月形の生まれでね。東京の美術の短大を出て、ふるさとに帰った。1995年、子どもを育てる主婦だったころに、趣味の延長でコテージガーデンを始めた。売れる苗を仕入れて並べる店じゃない。好きな植物、植えたい植物を、自分で種からまいて育てる。少しずつ、たくさんの種類をね。トマトも、外国から種を取り寄せて150種類くらい育てて、とれたトマトから自分で種をとって、また育てる。トマトは、育て方で味が大きく変わる。適当にできるもんじゃない。あのトマトを食べたら、もう、ほかのトマトがみんなくすんで見えるんだよ」

——庭のつくり方にも、考えがあるそうですね。

「庭は、いまがいちばんいい状態につくっちゃいけない、って。3年後、10年後に、だんだんよくなっていくようにつくる。そのために、最初にいちばん手間をかける。土を動かす力仕事が8割で、花を植えるのは最後の最後」

——種から育てて、すぐに結果を求めない。始めたことをやめないMAMEHICOのやり方と、よく似てますね。

「梅木さんとは、話が通じた。どこまで手をかけるか、何を待つか。そこの考え方が近かった。大樹町でも千歳でも、そこでつまずいてきたから、よくわかるんだよね。それで次の年、月形に移った。梅木さんは、ハタケの作業を支えてくれてね」

ほんとうにおいしいトマトに出会った
花とファサードのコテージガーデン

小さく、2年

——月形は、2019年からですね。写真だとハタケに黒いマルチを張ってます。

「マルチっていうのは、畝をおおうビニールね。千歳みたいな広さは、もうなかったから。ほんとに小さく、2年で終わった」

——やることは、同じだった?

「千歳とは全く違う、粘土質のハタケで。乾くとカチコチで。これ畑?って感じだったよ。

けど千歳からのお客さんも月形のハタケに来てくれたし。梅木さんは白いいんげん豆を育てるのが上手で。その白インゲン豆がまたとても美味しかった。

種から植えるんじゃなくて、苗を作って植えるかたちだから千歳と全く違った。

そしてマルチを敷く。

豆の苗をマルチの穴に植えるなんて今までの豆ではしてこないことだからね。

この白インゲン豆はさやで食べても美味しいし、乾いた豆にしても美味しい」

——梅木さんは食べることがお好きなようですね?

「自分の哲学とレシピをいっぱい持っているヒトで(笑)いまはYoutuberとして大活躍してるでしょ。

トマトもあの頃はほんとにたくさん作ってて、大きな品種は瓶詰めにしたり。ビーツなんかもペーストにして上手に料理に使ってたし、カレーも独創的で。もともとお花や庭のヒトだから、エディブルフラワーと言って食べられる花も育ててた。ハーブもいろんなバジルやミントもあすこで初めて知った。

月形の味付きジンギスカンとかね。

カフェも併設していたから、ピザを焼いたり。

ジェラートにアイス。

もう千歳とは全く違うね。

なんていうかこの月形のハタケマメヒコは、梅木さんと色んなものを食べる会になっていた。食の会に近い。

これはこれでとても面白かったよ」

マルチを張る前のハタケ
トラクターで黒いマルチを張る
マルチの穴に植えていく
食べられる花を知ったのも月形

そこへ、コロナ

——ハタケマメヒコは、どう閉じたんですか?

「それはコロナです。なんか移動がいけないみたいな風潮だったからね。それでボクたちも向こうに行くのを遠慮して」

——急に畑がなくなって寂しかったんじゃないですか?

「いや、コロナになったらもうハタケも何もないよね。そもそも店がなくなるかどうかというはなしだったから」

——梅木さんとは、いまも?

「いまでも付き合いは続いてます。紫香邸や空水茶屋の庭を手伝ってもらったり、梅木さんの暮らしを伝える動画が本になって、2025年に、その出版を祝う会をMAMEHICOで開いたり」

10年、三つの土地。ハタケマメヒコは、井川さんに何を残したのでしょう。

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