10月20日、紫香邸と神戸のクラファン始まります

紫香邸は築100年へ!神戸はマフィンのお福分け便!

特集— ハタケマメヒコとは何だったのかM=Hico / What was Hatake Mamehico?

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The Miso Club and Farm Field Trips

千歳、お客さんを呼ぶ

2014〜2018年、千歳・駒里
M=Hico特集
一面の紫花豆の花(2015年)

空港に12時半

——千歳では、お客さんを呼ぶようになったそうですね。

「『ハタケの遠足』ね。土曜の12時半に、千歳空港の到着口に集まる。土曜と日曜の2日間、ハタケで働いて、日曜の夜は、千歳発羽田行きの最終便、20時の飛行機で東京に帰る。週末だけで、北海道のハタケに行って帰ってこられる」

——週末だけで、北海道に。最初は、誰に声をかけたんですか?

「味噌会のヒトたち。毎月集まって、大豆を味噌にする会。そのヒトたちに、ハタケにも来ませんか、って呼びかけた。2014年のことだね」

——お客さんが来るようになって、何が変わりましたか?

「お客さんが自腹で東京から来て、手伝ってくれるようになったんだよね。それで、ようやくハタケマメヒコを中心にした集まりになった。現代の参勤交代に、ちゃんとなったわけ。まぁ、運がよかっただけです(笑)。最初からこうなるなんて、誰も思ってなかった」

かぼちゃの収穫、これがカンボジアプリンの始まり

何千本の支柱

——味噌会のヒトたちは、毎月のように通ったんですよね。何をしたんですか?

「5月の種まきから9月の収穫まで。遠足っていっても、やることは畑仕事。何千本もの支柱を立てて、いくらでも生える雑草をとって、あの手この手で虫をとる。無農薬だから、気が遠くなるような地道な作業ばっかり。花豆や貝豆の支柱は、立てるのも、抜くのも、ヒトの手。それを、お客さんがやってくれた。支柱を立てたり抜いたりは、本当に人手が要る。お客さんにやってもらって、正直助かった」

——その夏の、ハタケのスタッフの日記です。

2014年7月26日(土)

東京から味噌会の皆さんが、ハタケのお手伝いに、また、千歳までいらっしゃいました。感謝感激雨あられです。

——感謝感激雨あられ(笑)。遠足は、そのあと増えたんですか?

「2016年には年に5回。5月は豆のまき方、7月は雑草と草とり、9月はかぼちゃの収穫、10月は豆の収穫、11月は豆の脱穀。春から秋まで、ハタケの仕事をひととおり、お客さんの手でやることになったわけ」

竹の支柱を組む
立てた支柱の下に豆をまく
芽が出たら雑草をホーで取る
貝豆を1つの支柱に2粒まく

ハタケでわかること

——遠足に来るヒトは、どんなヒトでしたか?

「ひとことで言ったら、みんないいヒト。本当に親切なんだよね。昼はハタケで働いて、日が暮れたら、ハタケの家でみんなで夕ごはん。夜は焚き火を囲んだりね」

——そうやって過ごすと、何が起きるんですか?

「ハタケに来たのがきっかけで、MAMEHICOで働くようになったヒトが、ちらほら出てきた。草ヶ谷さんも、そのひとり。毎月のように飛行機に乗って駒里のハタケに通って、そのうちにスタッフになった。いまじゃMAMEHICOを支える大事なひとりだね」

——草ヶ谷さん、ハタケに来ると、何が変わるんでしょうか?

草ヶ谷「地味な作業を、みんなで一緒にやるでしょう。そうすると、だんだん同じ気持ちになってくるんです。雑草はとっても、とっても、また生えてくる。腰も痛いし、手も泥だらけ。それでも、となりで同じことをしているヒトがいると、なんだか笑えてくる。夕方、きれいになった畝を見て、今日はこんなにきれいにできね、ってみんなで思う。秋に豆がとれると、自分の子どもみたいにうれしいんです」

——それで、また来たくなる?

草ヶ谷「そうなんです。畑のことも、来ているうちに少しずつ覚えます。そしてそれより、自分がどんなヒトなのかが、ハタケにいるとわかっちゃう。自分は、ひとりで黙々とやりたいタイプなのかとか。だれかと一緒じゃないとやれないヒトなのかとか。すぐ疲れちゃうのか、意外としぶといのか。そういうことが、ハタケマメヒコのこわいところなんですよ」

——井川さんは、どんなところで、そのヒトがどんなヒトか、わかるんですか?

「作業のやり方や、道具の片付け方を見ると、そのヒトがいままでどんな生き方をしてきたか、だいたいわかる。使った鍬を、そのへんに置きっぱなしにするヒトもいる。泥を落として、元の場所にきちんと戻すヒトもいる。ボクは、ああしろ、こうしろと詳しくは教えない。そのかわり、ひとりでは作業させない。みんなで同じことをやらせる。でも、それがなかなかできないんだよね。ひとりで、自分だけで完結する仕事をしようとしちゃう」

——ひとりでやろうとするヒトは、続かない?

「みんなの作業に入らないで、すみっこでひとりで何かやってるヒトは、長く続かない。続くのは、みんながやってるのを見て、面白そうだなと真似するヒト。教わったことより、真似したことのほうが、ちゃんと身につく。だから、とにかくチームでやらないとだめ」

採ったかぼちゃを集める(2016年)
夜のハタケで焚き火を囲む

——ハタケの仕事のあいだにも、いろんなことが起きたそうですね。

「ハタケの外の話は、ほんとにいっぱいあるんだよ。春は、ハタケのまわりに黄色いたんぽぽが咲く。それを摘んできて、シロップにした。花にアリがいっぱいついてて、洗っても洗っても、まだ出てくる。できたシロップをホットケーキにかけたら、はちみつの味がしてね。小さな娘はすごく喜んでた」

——たんぽぽのシロップが、はちみつの味(笑)。夏は?

「夏は、ハタケの端にハスカップがなる。小さな実を、ひとつぶずつ指でつまんでとる。とれたぶんだけ冷凍して、ジップロックにためていく。でも、ぜんぜんたまらない(笑)。店のメニューには載せられない量だった。こういう経験が、いまのMeet&Eatにつながってる。初めて会うヒト同士が、ひとつのテーブルを囲む食事会ね」

——ほかには?

「トウモロコシ畑には、アライグマの家族が来るんだよ。茎ごとバキバキに折って、実を持っていっちゃう。それで、わなを作った。アライグマって、甘いものが好き。あんぱんを入れたら、かかったとかね」

——あんぱんで(笑)。秋は、台風ですか?

「そう、台風。東京にいたら、とうさんから知らせが来て。豆が倒れてるぞって。ボクは行けなかった。でも、ボクの代わりに東京から駒里へ行ってくれたヒトがいた」

——冬は?

「冬は、雪。大雪の日に、苫小牧に脱穀機があるから取りに来いって言われてね。豆をさやから外す大型の機械。雪の道を、トラックで苫小牧まで走った。向こうはフォークリフトで積んでくれたけど、下ろすときは自分たちの手でしょ。それがもう、すごく大変だった。苫小牧は、ほっき貝のとれる町でね。さばき方も、ハタケで覚えた」

——いま思い出すのは、そういうことのほうですか?

「毎年同じように大豆を作って、花豆を作って、かぼちゃを作る。それはそれでいい。でも本当に楽しかったのは、ハタケの外の体験なんだよね」

摘んだたんぽぽ
たんぽぽのシロップ
小さなハスカップの熟れた実を1つずつ集める

豆選りと、温度差

——とれた豆は、そのまま店で使えるんですか?

「使えない。小石、ゴミ、割れた豆、色の悪い豆を、ひと粒ずつ見て、よけなきゃいけない。豆選りっていうんだけど、これが本当に大変なんだよ。1トン近くとれた豆を、ひと粒ずつ見ていくんだから。世の中じゃ、刑務所や福祉施設でやってもらってることもある。そうじゃなきゃ、農協なんかが持ってる大型の機械。センサーで、悪い豆をはじいてくれる。でも、ボクらにはそんな機械はなかった」

——機械がないなら、手でやるしかない。

「店で使う豆を、お客さんに選ってもらう。毎週日曜、渋谷の宇田川町の店で開いた『豆選り会』。豆選りがなかなか進まなくて、ボクらも本当に困ってたから、助かったね」

——でも、ヒトが集まれば、選り方もヒトそれぞれでしょう。

「豆選りにも、丁寧なヒト、遅いヒト、雑なヒトがいる。お手伝いだから、強くは言えないでしょ。でも、根気よく通ってくれるヒトには、もっとこうして、ああして、って言わなくちゃいけない。そうすると、タダで働かせて文句まで言ってる、って陰口言われてね」

——いつも矢面に立ってきたのは、井川さんですね。

「みんな温度差がある。そもそも、目的が違うんだから当然です。ボクはいつもその板挟みにあうわけね」

映画にする

——2015年には、駒里のハタケで映画まで撮ってますよね。『ゲーテ診療所 とうさんのティラミス』。カフェが、なんでまた映画を(笑)。

「ボクが一番得意なことは何かって聞かれたら、たぶん、映画を撮ることだと思う。北海道で農業をする家族の話でね。豆畑の畝のあいだにレールを敷いて、カメラを走らせた。赤い花の咲いた花豆の棚の前に、役者を立たせて。ハタケに住みこんでたスタッフも、家族のひとりを演じてる。ボクは、ストーリーがはっきりした映画が好きじゃない。強いストーリーは、大切なものを遠ざけちゃうから。ボクらが作る映画なら、ハタケマメヒコとして当たり前にやってきた細かいことを表現できるかなと。豆をまくところから、育てて、とって、選るところまで。お客さんと一緒に手を動かしてきた、ハタケマメヒコそのものをね」

——カフェで映画、ハタケで映画。ふつうの店はやりませんよね。誰に頼まれたわけでもないのに。

「北海道でハタケを十年やって、豆をまいてみたり、映画を撮ってみたり。ぜんぶ、誰にも頼まれることなく、自主企画、自主制作。なにもかもインディペンデントでいたいんだよね」

——でも、頼まれずにやれば、お金も失敗も、ぜんぶ自分たちでかぶることになる。

「その反対の仕事もあるでしょ。たとえば、あそこのお金を、ここのヒトにつないで、書類に判を押す。ご挨拶して、乾杯して、何億というお金が動く。そういうのを、名刺代わりの仕事って言う。あの案件に関わりました、あのプロジェクトを動かしました、って名刺の裏にずらりと並ぶ。ボクは、そういうのが嫌なんだよ」

——でも、名刺代わりの仕事がないと、困ることもあるでしょう。外からは、どう見られるんですか?

「MAMEHICOって何年やってるんですか、どんな実績がおありですか、どのくらい儲かりましたか。そう聞かれるたびに、もごもごしちゃう(笑)。やってきたことといえば、店を開けてみたり、閉めてみたり。北海道で豆をまいてみたり、映画を撮ってみたり。肩身が狭いよね」

——肩身が狭いのに、やめない。

「誰かに認められたくてやってきたわけじゃない。ただ、自分が面白いと思ったから。それだけです」

豆畑にレールを敷いて撮る
花豆の前で、ゲーテ先生の診療所を撮影中

最後の秋

——2017年の写真だと、6月にはまいた種がまばらにしか芽を出していないし、7月には背の高い草にハタケが埋もれてます。

「映画を撮った2015年がピークだったね。連作障害もあって、千歳は、もう続けられなくなった。

——映画にしようとしたのはなぜ?

やっぱり、実際に手間をかけたって、お客さんにはなかなか伝わらないんだよ。「紫花豆のほうが黒豆よりずっと手間がかかってるんですよ、手竹使ってるんですからね」とボクが声高に言っても、お客さんにとっては、どっちも黒っぽい豆でしかない(笑)。

千歳のハタケに来て、豆ができるようになると、ついつい栽培を頑張っちゃって、今度は伝えるとか楽しいというのがなくなってきてしまっていたしね」

——千歳の最後は、どうしたんですか?

「五年目の秋、最後の豆をとり入れて、倉庫に積んで、それで千歳はおしまい。たくさんのヒトと、たくさんのことが、このハタケから生まれた。ヒトが増えて、にぎやかになって、そして、土が疲れてきた、それでおしまい」

——なににしても苦悩が続きますね。それでまた新しいところに移ろうと。

「ハタケマメヒコをやって学んだことは、ほんとに大きかったのね。ヒトとヒトとのつきあい方。毎日コツコツ続けること。植物が生き残るための、うまいやり方。

なにより大きかったのは、

自分を信じることの大切さね。これはやる、これはやらない、と自分で決める。

始めたことは、最後までやり通す。途中で、ゴールを動かさない。

それができないヒトは、大きなことはできないし、まわりから信用もされない。

あのカオスの時代に身につけたことから、いまのMAMEHICOの考え方も、仕組みも、ほとんどが生まれてる。だから続けようと思った。千歳じゃないところ探しても」

雑草だらけになってしまったハタケ

千歳の6年が終わります。2019年の春、ハタケマメヒコは空知の町、月形へ向かいます。

──次頁「月形、そしておしまい」へ

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