紫陽花ケーキ、梅雨明けまで!
神戸は梅雨明けましたね、東京もそろそろかな?
渋谷の再開発が、店を追い詰めた。二軒を抱えるのは、きつい。ヨシノを生んだ宇田川町の店を、井川は手放す。渋谷に残るのは、公園通りの一軒だけになった。それでもヨシノの歌う場所を探して、井川はもう、次の舞台を見つけにかかっていた。
まず、時系列を整理しておきたい。ヨシノが銀座で歌うようになった経緯には、コロナよりも前に、もうひとつの災難がある。渋谷の再開発である。
取材は、銀座の店の昼下がりだった。ランチの客がはけて、夜の公演までのあいだ、店がすこし静かになる時間である。井川は、渋谷の話から始めた。
「宇田川町の店を閉めたのは、コロナのせいじゃないんだよね。渋谷の、再開発。オリンピックの前後、あの街は丸ごと工事現場みたいになってね。道が変わって、ヒトの流れが変わる。昨日までお客さんが歩いていた道が、ある日、柵で囲われる。そういうことが、そこらじゅうで起きるんです」
これは、井川の主観だけの話ではない。渋谷という街は、2010年代を通じて、丸ごと作り替えられていった。2012年の渋谷ヒカリエに始まり、2020年のオリンピックを目標に掲げた、百年に一度と呼ばれる規模の再開発である。井川が店を構えていた公園通り、宇田川町の一帯も、その渦中にあった。近くのパルコは建て替えで一時休業し、あちこちで古い建物が壊されては、より高いビルへと姿を変えていく。宇田川町店を閉じた2018年は、まさにその開業ラッシュのただ中だった。
井川は、渋谷を「努力と結果のつながらない街」だと言う。
「こっちがどれだけ真面目に、いい珈琲を淹れて、いい店にしようとしても、街の都合ひとつで、ぜんぶひっくり返される。ヒトの流れっていうのは、店の力じゃどうにもならない。抗いようがないのね。しまいには銀行にまで、渋谷はどっちか閉めたほうがいい、と言われてね。銀行にそう言われるようじゃ、もう、潮時かと」
正直に言えば、あの再開発は、あとから来たコロナよりきつかった、とも言った。この言葉には、少し立ち止まらされる。コロナは、いわば天災である。世の中の誰もが、同じように店を閉め、同じように耐えた。誰のせいでもない、と諦めもつく。だが再開発は違う。自分の店の前だけが掘り返され、囲われ、隣の一角は真新しいビルになって栄えていく。取り残されるのを、ただ見ているしかない。その孤独が、こたえたのだろう。
当時、井川は渋谷に二軒の店を抱えていた。二軒とも、同じ波をかぶっている。片方を支えるために、もう片方の体力を削る。その自転車操業が、じりじりと続いていた。両方を持たせるのは、もう難しい。決断を先延ばしにできるところは、とうに過ぎていた。
2018年、井川は宇田川町店を閉じた。ヨシノが生まれた、あの緞帳と小上がりの店である。とんかつの揚げ場から始まり、映画館になり、ひとりの女優を生んだ、あの店だ。これで、渋谷に残るのは、公園通りの一軒だけになった。
その閉店には、奇妙なめぐり合わせがあった。
思い出してほしい。ヨシノとは、そもそも、潰れかけの喫茶店の女主人である。家賃が払えず、街の変化に取り残され、それでも歌いつづける女。その役を演じてきた井川が、こんどは現実に、自分の店を失った。芝居のなかの喪失を、現実がなぞったのである。設定と現実が、そこでひとつに重なった。ヨシノという女に宿る哀しみは、この日から、演技だけのものではなくなった。

宇田川町店が、なくなる。
そう決まったとき、まわりのヒトたちは口々に言った。「ゲーテも、これでおしまいだね」と。
無理もない。ゲーテ先生の音楽会は、あの窓のない小屋のために作られたものだった。イタリア帰りの声楽家と、素人店主のコメディ。緞帳も、小上がりも、すべてがあの一坪ばかりの舞台の上で組み上がっていた。舞台が消えれば、芝居も消える。ヨシノも、一登場人物である以上、店とともに幕を下ろす。それが、ものの道理だった。
ところが、その道理を、まるで意に介さない二人がいた。井川と、スタッフの日野沙織である。
まわりが「おしまいだね」と口にしているそのとき、この二人は、閉店の片付けのかたわら、次の会場の当たりをつけ始めていた。あそこはどうだ、いや天井が低い、あの箱は音がだめ。まだ何ひとつ決まっていないのに、内見を進めていた。
なぜ、そこまでするのか。理由は、単純だった。
「お客さんが、喜んでくれていたから」と日野は言う。毎回、あの小上がりに客が集まる。ゲーテ先生が歌い、ヨシノが歌う。目の前に、こんなに喜ぶヒトたちがいる。それを、こちらの都合ひとつで、やめてしまっていいのか。
「あんなに喜んで帰っていくお客さんを、毎回見てるんです。店がなくなるからおしまいです、なんて、こっちの都合で言いたくない。喜んでくれるヒトがいる限りは、なんとかして続ける。わたしと井川とのなかでは、それが当たり前でした」
目の前の客が喜んでいる。その一点だけを頼りに、二人はいつも動いていた。いろんなものは、あとからついてくる。まず、喜ぶ顔がある。だから、続ける。20年、店をずっとそうやって回してきたことと、同じだった。
とはいえ、意気込みだけで、場所は見つからない。ゲーテがやれる場所というのが、これがなかなか、ない。ふつうのライブハウスや、きちんとした劇場では、あの手作りの温かみが消えてしまう。
「探すと、ないんだよね」
そこへ、スタッフが一軒、見つけてきた。銀座の、ちいさなコンサートホールである。これが、いい。広すぎず、狭すぎず。客席と舞台の距離が近い。あ、ここだ、と井川は思った。渋谷を追われたゲーテの、次の舞台が、こうして銀座に決まった。
ただし、この時点では、あくまで間借りである。ゲーテを打つときだけ、この銀座のホールを借りる。まだ、MAMEHICOの店になるとは、井川自身、思ってもいなかった。

たまたま、という言葉を、井川はよく使う。この取材のあいだ、いったい何度聞いただろう。とんかつ屋のおいちゃんが消えたのも、たまたま。映画を撮ったのも、たまたま。ヨシノが生まれたのも、銀座のホールに行き当たったのも、たまたま。彼の来し方は、本人の口にかかると、ことごとく偶然の産物になる。
だが、その「たまたま」は、動いているヒトのところにしか、やって来ない。店じまいと一緒に諦めていたら、銀座のホールは、ただ通り過ぎる箱に過ぎなかった。続けると決めて、街を探し歩いていたヒトたちの目にだけ、それは「次の舞台」として映ったのである。
井川が自分の会社に「セレンディピティ」、思わぬ出会いに導かれること、と名づけたのは、20数年も前だという。偶然を掴めるかどうかは、その手を、伸ばしているかどうかで決まる。彼らは、伸ばしていた。
こうして「ゲーテ先生の音楽会」は、間借りの銀座で、ふたたび幕を開けた。渋谷に公園通りの一軒を残したまま、ヨシノの歌は、銀座へと場所を移したのである。
腰を落ち着けて、さあこれから、というときだった。
コロナが、来た。

大勢では、集まれない。増原を招いて打つゲーテも、客席を埋める興行も、できなくなる。だが、その八方塞がりのなかから、ヨシノの、思いもよらない仕事が生まれる。──次頁「アルバムを作ることに」へ
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