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特集— エトワール★ヨシノは何者か?M=Hico / What is Etoile Yoshino?

02
Where It Began

ゲーテ先生から始まった

井川というヒトは、境目が嫌いらしい
M=Hico特集
音楽コメディ「ゲーテ先生の音楽会」(2014年〜)

原幸子、みんなからは「さっちゃん」と呼ばれている。MAMEHICOを知ったのは2015年、まだ渋谷に店があった頃だ。当時は細々とピアノの演奏活動をしていて、その一環として、声楽家の増原英也に誘われて弾きに行った。それが始まりだった。

紆余曲折を経てMAMEHICOのスタッフになり、4年。いまは桐生・紫香邸で働いている。エトワール★ヨシノが生まれた日、彼女はその歌の隣で、ピアノを弾いていた。客席でも、袖でもない。舞台の上から見ていた彼女に話を聞いた。

——もともとは、増原さんの繋がりで。

原「そうです。当時わたし、演奏活動を細々とやってて。増原さんに、面白いことやってる店があるから弾きに来ないか、って誘われたんです。それがMAMEHICO。渋谷の店でした。ゲーテ先生の音楽会っていう、音楽劇の伴奏。まさか、それが、こんなに長い付き合いになるとは思ってなかった(笑)」

——ゲーテ先生の音楽会。

原「増原さんが、歌を愛するお医者さん、ゲーテ先生を演じるんです。患者さんに『くよくよしてないで歌いましょう』って、歌を処方する。すると井川さん演じる患者はみるみる元気になる。というお話でした。毎回、いろんな音楽をテーマにしていて。わたしはその横で、ずっとピアノを弾いてました。小上がりが舞台でね、3人も立てばいっぱい。お客さんも30人入れば、ぎゅうぎゅう。でも、楽しかったなあ」

——増原さんは、どんな方でした。

原「多才なかたでした。ちゃんとした声楽家なのに、コメディもやる、芝居もやる。民謡も踊りもいける。小ネタもいっぱい持ってて。井川さんが横で見てて、増原さんにオペラだけやらせるなんてもったいない、って言ってたのを覚えてます。井川さんて、そういう、ヒトの使いどころを見るのが好きだし得意なんですよね」

——井川さんは、舞台に立つとどうなんですか。

原「井川さんはほんと、リハーサルが嫌いなヒトで、直前まで照明直したり、セット作ったり、お客さんに出すお料理を作ったりしてるんですよ。本を書いて、あとは、出たとこ勝負で頑張りましょうっていう」

——井川さんは患者役なんですよね。

原「役と言っても、舞台の上ではもう、めちゃくちゃです。いい意味ですけど。台本はあるんだけど、井川さんはわざと、台本からどんどん外していくんですよ。それに増原さんもタジタジしながらもついていく。丁々発止、それが見どころなんです。わたしは伴奏だから、どこで曲に入ればいいか身構えてるんですけど、二人がどこまで喋るか、読めないんですよ。どこまでが台本で、どこからがアドリブか、弾いてるわたしにもわからない。境目がないんです、あの二人は。

それくらい、お二人ともすごく芸達者なんですよ」

境目がない。井川というヒトは、境目が嫌いらしい。原は、溶けていく境目を、鍵盤越しに見ていた。

狭い楽屋で原さんと増原さん
一度だけゲーテに出演したこともある原

ヨシノに、ないものとあるもの

——なぜ、ヨシノはシャンソンだったんでしょう。

原「井川さんは、もちろん歌手じゃないです。歌の訓練なんて受けてないし。増原さんみたいな歌は、どうしたって歌えない。それは、隣で伴奏してたわたしがいちばんわかってます(笑)。そもそも、声がぜんぜん違うんです。増原さんは、地の底から響いてくるようなバスでね。声だけで、劇場の空気をぜんぶ持っていっちゃう。ちゃんと訓練された、本物の声です。

ヨシノは、逆なんです。とても高い。しかも、倍音がすごいんですよ。きれいな、まろやかな高音じゃないんです。もっと耳に刺さるような音。伴奏してると、あの声が、ピアノの音の上をつきぬけていくのが、はっきりわかるんです」

低い声と、高い声。訓練された本物と、訓練されていない声。原の口ぶりは、まるで正反対の二つの楽器を語っているようだった。

——耳に刺さる。

原「刺さります(笑)。でもね、それがいいんです。声楽的に正しい、なめらかな声じゃない。だけど、その刺さる感じが、ヨシノの切なさとかに、ぴったり合っちゃう。井川さんの、あの整ってない声だからこそ、聴いてるヒトの胸を、ざらっと引っかいていくのかなって。

井川さんの声は、その、教育を受けたら消されちゃうものを持ってるんだと思う。整ってないことが、武器になってる。こんなの、教わって身につくものじゃないです。もちろん増原さんと並んで、歌のうまさで勝負したら、ぜったいに負ける。井川さんもそんなところで競ってはないです。でも、井川さんが自分にできることは何なのかと考えたら、それは物語を語ることだと」

——物語。

原「シャンソンって、歌詞がぜんぶ物語でしょう。3分か4分の歌のなかに、短編小説がまるまる一本入ってるみたいな。だから、その物語を語れるかどうかが問われるんです。上手に歌えても、物語が立ってなかったら、シャンソンにならない。あの高い声で刺してくれば、聴いてるヒトの胸に、ちゃんと残る」

——それが、ヨシノさんの強み。

原「そこなんですよ。井川さん、作家でしょう。声では増原さんに勝てないけど、物語を語ることならできる。それがシャンソンだったんだと思います」

歌えないから、歌わない。ふつうは、そうだ。

ところが井川は、歌えないまま、歌う意味を、見つけてしまった。そして、その一点だけを頼りに、舞台に立った。

即興のひと

——リハーサルは、どうやるんですか。伴奏合わせなど。

原「毎回ゲストみたいなヒトがいます。井川さんと増原さんと、ゲスト。それでゲストによってはきちんとセリフがありますが、井川さんの台本は『なんかいう』って書いてあることが多い。

井川さんは、リハーサルが嫌いなんです。はなしをして、全体が見えたら、あとはやりたがらないです。やっても、本番でお客が退屈そうにしてると、ガラッと変えてくるんですよ。リハでこうだったのに、って思っても、もう別物。テンポも、間も、どこで喋るかも、ぜんぶその場で変わる」

——伴奏する側は。

原「たまったものじゃないです(笑)。楽譜どおり、段取りどおりに弾こうとすると、ぜったい置いていかれる。だから、井川さんの息を見て、目を見て、その場でついていくんです。決めておいたものを再現するんじゃなくて、いま起きてることに、いっしょに乗る力が求められる。わたしはずっとクラシックで、クラシックって、基本、あるものをやる、でしょう。楽譜があって、それをどう再現するか。そこにこだわるから、ここは4小節ですね、なんて確認しても、『そんなの成り行き次第』と言われちゃう。わたしは、いつまでも、それができませんでした。石川さんはそれに答えられる。だからヨシノをずっとやられてるんです」

——すべて即興、なんですか。

原「台本はきちんと作り込まれて書かれてるんです。音楽の知識、ストーリー、よく考えるなっていうものを考えてくる。けど、井川さんにとっては重きがあるのは、お客さんの反応なんです。

弾いてると、はっきりわかるんです。井川さんが出てくると、停滞していたお客さんたちが引き込まれていく瞬間がある。それは、歌がうまくいったときじゃないんです。お客さんが物語を理解したときなんです。

いまここでしか起きないもの。それを、お客さんに渡さないとお金を取ってる意味がないだろうって。それは井川さんの性分なんですよね。用意したものではお客さんは喜ばないってことを肌感覚で知ってる。ボクたちは喜んでもらってなんぼって、MAMEHICOに立っててもいつもそうですもの」

再現ではなく、即興。決めたものを守るのではなく、その場でどんどん生んでいく。それは、お客を喜ばすため。

これは「境目がない」という話と似ている。書いたものと、その場で生まれたもの。二つの境目を溶かすことでお客は喜ぶ。井川は境目を溶かすことでお客さんを喜ばせようとしている。

あの日のピアノ弾きがここにいる。音大を出て、ピアノを弾きに来ただけだった原は、あの日から10年、いまはMAMEHICO 紫香邸にいる。

ヨシノが生まれる瞬間を隣で見た者は、その後の長い道のりも、隣で歩いていくことになる。ヨシノの伴奏からは外れているが、井川と、ヨシノと、MAMEHICOとの時間を、まるごとそばで見てきた。

——長く関わってきて、原さんがいま思うことは。

原「不思議ですよ、ほんとに。音大生としてピアノを弾きに来ただけだったのに。それが桐生の古い邸宅、紫香邸に、いまはずっといるんですから。でもね、あのゲーテ先生の音楽会があって、ヨシノが生まれて、店がいくつも変わって、わたしも変わって。だけど振り返ると、ぜんぶおんなじ、地続きなんです。あの小上がりで、面白いって鳥肌が立った日から、ずっと」

——ヨシノとMAMEHICO、井川さんはおんなじですか?

原「ヨシノはそのまま、井川さんであり、ヨシノはMAMEHICOそのものだと思います。

ヨシノは、流行らないシャンソン喫茶を40年続けてる設定です。わたし、思うんですけど。その設定って、井川さんそのものですよね。井川さんは、流行らないやり方で、カフェを20年続けてきた。効率とか、集客とか、そういうものに背を向けて、自分の信じたやり方を、やめずに続けてるんです。

紫香邸に、わたしもいま立ってるけど、それってほんとに孤独だし、忍耐のいることなんだと、ようやく少しわかります。井川さんやヨシノさんの気持ちが、いまになってわかってきたんです」

流行らないものを、続ける。ヨシノに与えられたその設定は、そのまま作者の生き方の写しだった。

原の見立ては、こうだ。井川はヨシノに、二つのものを預けている。ひとつは、自分にはできないこと。もうひとつは、自分がいちばん大事にしていること。正反対のようでいて、その二つを、同じひとりの女に背負わせている。

できないこと。井川は店主である。お客さんに対して、面と向かっては怒れない。理不尽なことがあっても、飲み込むしかない。もしくは距離を詰めずに表面的に付き合うしかない。怒れば、店と客との関係はあっという間に崩れてしまうからだ。その、飲み込む寂しさを、ヨシノが代わりに歌にして出してくれる。舞台の上でなら、彼女は誰に遠慮することもなく、感情を表現できるからだ。井川にできないことを、ヨシノがやる。これが、預けたものの片方だ。

もう片方は、逆に、井川が手放したくないものだ。流行らなくても、続ける。効率や集客に背を向けても、自分の信じたやり方をやめない。その芯を、井川はヨシノにそっくり背負わせている。40年シャンソンを歌い続けてきたヨシノは、20年カフェを続けてきた井川の、目標の化身でもあると原は言う。

「だから、ヨシノを見ていれば、井川さんがなにを大事にしてMAMEHICOを続けてきたのかが、わかってしまう」と原は締めくくった。

ヨシノの歩みが、止まりかける。誰もが家に閉じこもり、店の灯が消えた、あの数年である。歌う場所を失った彼女は、それでも歌うのをやめなかった。そのことを、こんどは井川自身のことばで。次頁「宇田川を閉めることに」。

MAMEHICO | ETOILE YOSHINO