飛び込んだ先に見えたもの

みなさま、こんにちは。MAMEHICO東京メンバーの五嶌美幸です。
50歳の節目に、「今までやったことがないことをしたい」と思っていました。
そんな私の目に飛び込んできたのが、「面白可笑ひこ学校」という演劇プログラムの募集でした。
演劇なんて幼稚園の学芸会以来。
「大根役者に決まっている」「みんなの足を引っ張るのでは」
——そんな思いがぐるぐるして、申し込むまでに数ヶ月も悩みました。
それでも最後は、「古い自分と訣別したい」という気持ちが勝ち、滝壺に飛び込むような気持ちで申し込みボタンを押しました。
主宰の井川さんから言われた私の特性は、「左脳派」。
理屈で考え、完璧に作り込もうとするタイプだそうです。
でも、その「鎧」が、私の自由を奪っていたのかもしれません。
他の参加者がそれぞれにテーマを与えられる中で、私のテーマはとにかく「大きな声を出すこと」。
台本を分析することでも、セリフを整えることでもありませんでした。
私は占い師をしています。
お客さんの話を聞く仕事なので、普段は小さな声で静かに話すことが多いのです。
そんな私にとって「大きな声を出す」というのは、実はとても大きな挑戦でした。
公園に行ってセリフを叫んだり、体力をつけるために走ったり。
そんな一つひとつの作業は、今までの自分を少しずつ壊していく儀式のようでもありました。
稽古は、顔合わせから始まり、本読み、そして数回の全体練習。
ベテランメンバーに助けられながら進んでいきました。
その中で、私には「練習を一切させてもらえない演目」がありました。
最後の最後まで演じ方が決まらないまま、本番30分前を迎えたときの、あのヒリヒリする感覚。
左脳で生きてきた私にとっては、初めて味わう「生の自分」がむき出しになる瞬間でした。
そして迎えた初めての舞台。
本番では、少しずつお客さんの空気と溶け合っていく自分がいました。
驚いたのは、観客のみなさんの反応です。
練習で私たちが面白いと思っていたところと、お昼の回でお客さんが笑うところが全然違う。
さらに夜の回では、また別の場所で笑いが起きる。
同じ日、同じ場所、同じ台本。
それなのに、その場にいる人たちによって空気がこんなにも変わる。
これは教科書では学べない、「生きている表現」の面白さでした。
この学校で出会った人たちは、驚くほどみんな「自分のペース」で生きていました。
誰かに合わせるのではなく、それぞれが自分の命を燃やしているような人たち。
魔法のようにアドリブを繰り出す人。
圧倒的な存在感で場をさらう人。
全力で役に飛び込む人。
そんな人たちの中に身を置くうちに、私は少しずつ「自分のために自分を楽しませてもいい」と思えるようになりました。
もちろん、飛び込んだことで人間関係が変わるなど、しんどい出来事もありました。
でも今振り返ると、それも新しい自分になるために必要なプロセスだったのだと思います。
必要なものはすべて与えられていて、あとは自分がそこにぶつかって、楽しむだけ。
私にとって「面白可笑ひこ学校」は、最高に贅沢なバースデープレゼントになりました。
もし、いま迷っている方がいたら。
かつての私も、同じように悩んでいました。
でも、思いきって飛び込んでみたら、そこには面白可笑しい時間が待っていました。
広がった器を大切にしながら、後半の50年も、面白可笑しく走っていこうと思います。







