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子供が信じるヒト

MAMEHICOの催しには、小さなお子さんを連れてくるヒトも、少なくないんです。そういう場で、いろんな子どもと接するうちに、ボクなりに感じることが、積み重なってきましてね。

子育てというものを考えるとき、お父さんは厳しく、お母さんは優しく——というのが、ひとつの基本だと、ボクは思っているんです。もちろん逆でもいいし、いろんなやり方があっていい。ただ、どうも今のお父さんというのは、厳しくない。優しい、甘い。世の中も、そういう空気になってきましたよね。

先日、街中で、ギャーギャー泣いている男の子と、その子をずっと説得し続けているお父さんを、見かけたんです。もう三十分近く泣き続けているのに、お父さんは、なだめて、なだめて、「ごめんごめん」なんて、やってる。ボクに言わせれば、そういう場面こそ、「うるさい」と毅然と言ったほうが、子どもも、かえって落ち着くんじゃないかと思うんですけどね。

ボクのところに相談に来るお母さんに、こういうヒトがいました。

自分は親にとても厳しく育てられた。だから自分の子どもには、絶対に理不尽な思いをさせたくない。なるべく対話で、「あなたはどうしたい?」と聞きながら、育ててきた。ところが、いざそうして育ててみたら、基本的なことができない子になってしまった。私は育て方を間違えたんじゃないか、と。

親にされたことの反対をやるというのは、教育でも、哲学でもないと、ボクは思う。それは、自分が嫌だったことを子どもにしたくない、というだけのことで、何か一本、筋の通った考えがあって、やっているわけではない。

さて。

「いい子」というのがありますよね。誰の前でも、いい子でいる子。あれは、案外、その大人のことを信じていないから、そうなっているんじゃないかと、ボクは睨んでいるんです。子どもというのは、まだ動物に近いところがあって、信じきれていない相手の前では、警戒する。隙を見せない。だから問題も起こさない。つまり「いい子」でいる、というわけです。

逆に、本当に信じている大人の前では、どうなるか。警戒を解いて、本音を言う。わがままを言う。甘える。怒る。MAMEHICOのスタッフが、ボクに対して、いつも文句とわがままを言い続けているのも、まぁ、当然、甘えているわけですが、それは一種の、信頼の証明でもあるわけです。

ただ、甘えさせるだけ甘えさせればいいかというと、そうでもない。「この子に甘えられている」ということ自体が、自分のアイデンティティになってしまうと、線引きができなくなる。甘えを受け止めながら、ここからは知らないよ、という線を、ちゃんと引けるかどうか。そこが、たぶん大事なんだろうと。

子どもというのは、結局のところ、「この大人は信じられるかどうか」を、常にどこかで測ってる。そういうずるいとこがある。自分を見てくれているか。自分の言ったことを、ちゃんとわかってくれているか。それとも、自分のエゴで習い事に行かせたり、旅行に連れて行ったりして、「可愛がってるでしょ」という顔をしているだけじゃないか。子どもは、そこを敏感に感じ取って——甘やかされているけれど、寂しい。気にかけてもらっているけれど、信用されていない。そういう、ちょっと複雑な感覚を、抱えていたりする。

これは、子どもに限った話じゃありません。大人でも同じです。よそ行きの顔をして、いい返事ばかりする。あれは、たいてい、こちらを信じていない、ということですから。

「うちの子はいい子です」という関係を、ずっと保とうとすると、子どもは、表面のことばかり覚えて、本質をさらけ出さないまま、大きくなっていく。そして社会に出てから、なかなかヒトを信じることができない。そういう大人が、MAMEHICOにも、けっこう、集まってくるんですよ。

子どものうちに、何かひとつ、本当に信じられるものを、持てたら。それは宗教でもいいし、おじいちゃん、おばあちゃんでも、なんでもいい。「このヒトの言っていることは、確かだ」と思えるものに、出会えたなら。それは、ひとつの幸せなんじゃないかと、最近つくづく、思うわけです。

「天才よち丸ラジオ」のご視聴はこちら
MAMEHICO代表・井川さんのラジオです。
何気ない言葉の中に、ふと立ち止まるきっかけがあります。
子育て中のお母さんにも、そうでないヒトたちにも。
ぜひ一度、耳を傾けてほしいと思います。
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