02
未解決のまま、身を置いてみる
初めて演劇に触れた時、感じたこと。
「感情のスポーツ」みたい。
キャラクターを身にまとい、感情という武器をぶつけ合ってる感じ。
芸術とか表現活動っていうより、運動に近い感覚だった。
そんなぼくが、『ぽうく』に出ることになるなんて、その時はもちろん考えてもいなかった。
それまで、人前で演じることなんて考えたこともない人間だった。
いきなり主役になった
劇団四季とか宝塚とか、もちろん名前は知ってはいたけど、文化人か物好きの娯楽と思っていたので、行きたいと思ったことは一度もなかった。
それが、たまたまイベントの余興でやった小芝居が楽しかったのだ。
それで、興味本位でMAMEHICOのドアを叩いた。
MAMEHICOというカフェでは、素人でも演劇に出してくれるらしい。
そのような噂を聞きつけて、オーナーの井川さんに会いに渋谷のお店に行った。
面接では演技経験などについては一切聞かれることはなく、ぼくのこれまでの人生についてひたすら話すことになった。
親との関係、妻と子供、幼少期、恋愛、ADHDという気質のこと、郵便局での働き方。
井川さんはおしゃべりで、店内放送をしてるかのように大きな声で話すのだけど、とても熱心に相手の話を聞く人だった。

後日、上がってきた台本をみてびっくりした。
なんと主役でエントリーされていた。
なにしろ、演劇については右も左も分からないので、末席でちょっと出してもらえればいい、くらいの気持ちだった。
とにかくやってみるしかない。まぁ何とかなるだろう。
なんとかならなかった。。。
わからないから、理解したかった
いざやってみたら、余計にわからなくなった。
怒鳴るシーン。どうやってやったらいいのか分からない。普段怒鳴ることないし。
さらに、ぼくは喉が弱く、大きな声を出すとすぐに枯れる。
稽古で怒るシーンをやると、2〜3回やっただけで声がガラガラ。しばらく稽古ができない。
動こうとするとセリフを忘れるし、セリフを言おうとすると動くのを忘れる。
痛くもないのに、足を挫いた人の歩き方なんてできない。
足を引きずる動作を覚えるだけで丸一日かかった。
なんと不便な身体のだろう。まったく思い通りにならない。
身体って、自分の皮をかぶった他者だと思う。

まずは理解をすることにした。
身体がままならないのだから、せめてセリフだけでも自分のものにしたかった。
脚本を繰り返し繰り返し読んでみた。
どのような感情のメロディの物語なのか。
ヤスオはどういう人物で、妹とはどういう関係性なのか。
ぼくに似てるところはないか。
ぼくが過去に感じた気持ちの中で同じものはないのか。
妹役の子と話をした。
二人の幼少期の関係、親はどのような人物だったのか、互いにどのように相手を見ているのか。
演劇用語でサブテキストと言って、脚本には書かれていない過去の文脈や考え、思いなどを掘り下げていく試みだ。
稽古場でもいろんなことを井川さんに質問しまくった。
稽古そっちのけで、ストーリーについて、人物について、ひとつひとつの言葉について。
井川さんも井川さんで、めちゃくちゃちゃんと答えてくれるので、稽古はたびたび中断された。
あまりに稽古を止めるので、仲間からクレームを受け、喧嘩になった。
今考えると、仲間のクレームはごもっともすぎるのだが、当時のぼくにとっては理解こそが全てだった。
理解していないものを演じられるはずがないと思った。

怖かったのだと思う。全部解決したかった。
解決されていない課題を持ったままにしておくことができなかった。
解決できない課題について、ぼくは言葉に頼りがちだ。
一方で、言葉がぼくの支えであることもまた事実だった。
身体より先に、だんだんと言葉がぼくの味方をしてくれるようになった。
借り物のように感じられたセリフ達は、ぼくにとっての初期装備のように感じられた。
ようやく、物語の中に身を置けているような実感を得ることができた。
物語の中にいるぼくは、体の表面にふわっとした透明な何かを身に纏っていた。
ままならなかった身体も不思議と動かすことができるようになった。
「舞台上のぼく」と「いつものぼく」は、透明な何かを身に纏っていること、セリフを装備してること以外は何ら変わらないのだけど、とにかくこれらを身につけていると、舞台上の自分になることができた。
わからないままでも
本番の前日、井川さんからグループチャットにメッセージが飛んできた。
「稽古でやってきたことはぜんぶ忘れて舞台に立つこと」
本番は格別な体験だった。
これまで生きてきて、一体感なんてものを感じたことは一度もなかったのだけど、場の中にちゃんと居ていい感覚になった。
お客さんがいて、舞台があり、仲間がいて、セットがある。
ぜんぶの境目があいまいになって、その中に自分が柔らかく存在してる。
ふわっとした透明な何かは、境目に溶け出すみたいにして、余計に実体感を失っていった。
舞台上だけでなく、会場の隅から隅までを感じることができた。
不思議とそこに言葉はなかった。
これまで練習してきたことを舞台上で意識することもなかった。
練習はちゃんと身体に染み付いていた。

あれから5年以上が経って、当時とはずいぶん感覚が変わってきた。
以前ほど言葉にすがらなくなった。
未解決なことを未解決なまま、身を捧げてみる。
不安なこともあるけれど、それが今より少し自由になる、ということなのかもしれない。完全な自由なんてないし、頻繁に立ち往生するのだけど、少しづつ少しづつ前に進んでいければいいと思う。



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