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1年生とタオル

数年前のある日のことです。
家でFacebookを見ていたら、ある投稿が目に入りました。
読み進めていくうちに、だんだん嬉しくなってきて、最後まで読んだあともしばらく、その画面を眺めていました。

記事のタイトルは、「1年生とタオル」。
そこには、一枚のタオルをめぐる、小さな男の子の話が書かれていました。
その男の子のお母さんとは、ある文章講座でご一緒していました。
そこで、私はタオルを一枚プレゼントしたのです。
それからしばらくして、その方がFacebookに書いてくださったのが、この「1年生とタオル」でした。

小さな身体と、一枚のタオル

息子さんは、小学校に入学したばかり。
まだ一週間ほどしか経っていない頃でした。
自分の身体よりもずっと大きなランドセルを背負い、ぶかぶかの黄色い帽子をかぶって、「いってきます」と毎朝歩いていく。

新しい学校。
新しい友達。
新しい先生。
覚えることもたくさんあります。
家に戻ってきても、学校での出来事は、「初日の給食のカレーをおかわりした」という話くらい。

家では言葉遣いが少し荒くなったり、きょうだいと喧嘩をしたり。
お母さんから見ても、家では「しかめっ面」ばかりだったそうです。
口には出さなくても、小さな身体のなかには、大人には想像もつかないほどの緊張とエネルギーが詰まっていたのでしょう。

そんなある日の夜のこと。
お風呂から上がった息子さんの身体を、お母さんがそのタオルで拭いてあげたそうです。
すると、
「うわ、ふわふわ、きもちいい」
そう言って、タオルに何度も何度も顔をすりすりと押し付ける。
それまでしかめっ面ばかりだったのに、急に嬉しそうな顔になったそうです。

そして、
「ぼく、このタオル、これからつかうことにするから」と。
お母さんのためにプレゼントしたタオルだったのですが、すっかり気に入って、自分だけの宝物にしてしまった。笑

「一日の終わりにこんなにイイ顔見れるなら、こんな嬉しいことないな。鳥山さーん、本当にいいタオルです」
と、お母さんからのメッセージが添えられていました。
私はそれを読んで、とても嬉しかった。
一枚のタオルが、こんなふうに誰かの暮らしの中に入っていくんだなと思いました。

空回りする自分

タオル屋をやっていると、どうしても商品のことを考えます。
どんなタオルがいいか。
どんなものを仕入れるか。
どうやってお店に並べるか。

私自身がタオルをつくっているわけではありません。
つくる人がいて、それを仕入れる人がいて、そして、それを使う人がいる。
私は、その間にいる仕事です。
だから、タオルが実際にどんなふうに使われているのかを見る機会は、そう多くありません。

自分の手を離れたあと、そのタオルがどこへ行って、誰が使って、どんなふうに暮らしの中にあるのか。
普段は、そんなことまで考えることはありません。

でも、この投稿を読んだときは、その一枚のタオルがその家のお風呂場にあって、その男の子が顔をすりすりしているところまで、はっきり想像できました。
自分が渡したタオルが、こうして誰かの暮らしの中で使われている。
それを実際に見ることができたような気がして、なんだか不思議でした。

実は、この投稿を見たのは、家業に戻ってしばらく経ったころでした。
兄から「家業に戻って一緒にやらないか」と声をかけられたのが、すべての始まりでした。
話を聞くうちに、老舗の看板や会社を背負う重圧を兄ひとりに押しつけてしまうのは、あまりに申し訳ない。
そんな想いから、サラリーマンをやめて、家業へ戻る決意をしました。

しかし、もともと継ぐ気などまったくなかった私には、タオルの専門知識もなければ、会社経営のノウハウもありません。
戻ってからの日々は、想像以上の苦労と葛藤の連続でした。
創業から70年もの歴史を重ねてきた会社には、良くも悪くも、「何もしなくても決まった流れで進む日常」がすでに完成されていました。

けれど私は、「もっとスムーズにできるはずだ」「今の時代に合ったやり方があるはずだ」と、現状を変えようと必死に試行錯誤を繰り返していました。
長年そのやり方で会社を支えてきてくれたベテランスタッフたちからすれば、「今までのやり方のほうが慣れていてラク」なのも事実です。

新しい方法や自分の思いを提案しても、なかなか真意が伝わらない。
変わらない日常と、空回りする自分。
思い通りにいかないもどかしさと、自分の存在意義を見出せない悶々とした気持ちばかりが、胸の中に募っていった時期でした。

一枚のタオルが教えてくれたこと

そんなときに見たのが、この投稿でした。
自分が悩んでいる間にも、タオルは自分の手を離れて、誰かの暮らしの中に入っていく。
そのことが、なんだか嬉しかった。

いいタオルを仕入れることも大事。
お店に並べることも大事。
その先には、実際にそれを使う人の生活がある。
お風呂上がりに身体を拭いたり、汗を拭いたり、洗いたてのタオルに顔をうずめたり。
そういう、何気ない時間の中で使われている。

そのタオルを使ってくれる人がいるから、私の仕事がある。
タオルって、こういうものなのかもしれない。
そんな当たり前のことを、そのとき初めて実感したような気がしました。

あの日、Facebookで見た「1年生とタオル」。
あの投稿を読んでから、タオルを見る目が少し変わりました。
自分の仕事が、どこまで誰かにつながっているのかは、普段はわかりません。
でも、たまにこうして、その先を見せてもらえることがある。
それが、タオル屋をやっていてよかったと思える瞬間なのだと思います。

「ぼく、このタオル、これからつかうことにするから」
今でも、ふと、この言葉を思い出すことがあります。


「1年生とタオル」
あまりにも嬉しくて、このエピソードをまとめたタブロイドも作成しました。
ぜひ、ご覧ください!