雑を生み出すタオル
先日、ちょっと勢いに任せて作ってしまったものがあります。前回紹介した、真っ白な生地に「MAMEHICO」の文字を大きくあしらった、特製の「MAMEHICOタオル」です。
出来上がったばかりで、まだ誰も使っていないタオル。山積みになった真っ白なそれらを眺めながら、「作ってみたはいいけれど、ちょっと押し付けがましかったかな…」と、実は内心少しドキドキしていました。
しかし、ちょうど良いタイミングで、MAMEHICOの動画企画「ひと駅歩いて」のロケがあると聞き、えいやっと勇気を出して、スタッフの皆さんに配ってみることにしました。

雨のロケ現場と、クシャクシャのタオル
ロケ当日は、あいにくの天気でした。 空は低く、どんよりとした雲が垂れ込め、今にも雨が降りそうな天候。外での撮影というものは、天候に大きく左右されます。とはいえ、あらかじめ抑えているスケジュールの中で撮影を終えるために、ロケはそのまま決行されることになりました。
現場に漂う、独特の張り詰めた空気。私は「今、声をかけても邪魔にならないだろうか」と、タオルの入った袋を抱えながら、少しそわそわとした気持ちでタイミングを計っていました。
そして、ロケが始まる前に「勝手に作ってきました」とタオルをお渡ししました。すると、「おっ、これはいいタオルだね」なんて、あの独特の包み込むような笑顔でさっそく首にくるりと巻きつけてくれる井川さん。その姿を見て、張り詰めていた私の緊張がフッとほどけていくのが分かりました。 他のみんなも、首に巻いたり、手ぬぐいのように頭をおおって「ほおかむり」のように結び始めました。
決して「格好をつけた」姿ではないのかもしれません。でも、その佇まいは、なんだかとてもユーモラスで、いかにもMAMEHICOのスタッフらしい、お茶目で温かい光景に見えたのです。その気取らない優しさに触れて、私は胸の奥がじんわりと温かくなりました。
ロケの途中、傘を差すほどではないけれど、じっと立っていると服の表面がしっとりと濡れてしまう、なんとも微妙な雨が降ってきたり止んだり。誰かの手に渡り、雨を吸い、汗を拭い、クシャクシャになって人の身体に巻きついたタオルは「生活の道具」として、急な雨の中でスタッフの皆さんの首元を温め、髪を濡らさないように守っている。畳まれて私の店の棚に並んでいたときよりも、ずっと生き生きとして誇らしげに見えるものでした。

カフェが育む「雑」の豊かさ
このロケの中で、私の頭には、MAMEHICOが大切にしている「10の信念」のうちのひとつが思い浮かんでいました。「08 雑を大切に」という言葉です。
MAMEHICOの信条には、こうあります。
『今日、社会の課題は複雑化していて、単一の専門分野だけでは解決できない。けれど、カフェという場所には、まったく異なる分野の人たちが集まり、お茶を飲みながら様々な「雑談」を交わす。違った視点が混ざり合う(雑多である)ことから、新しい何かが生まれるのだ』と。
私はこの「雑」という言葉が、とても好きです。世間では「雑」というと、「雑(ぞんざい)に扱う」とか、「仕事が雑だ」というように、あまり良くない意味で使われることが多いかもしれません。しかし、「雑」という漢字には本来、「いろいろなものが入り混じる」という意味もあります。
完璧に整えられた環境。そこには無駄もなければ、「雑」なものが入り込む余地もありません。しかし、この日のロケ現場は、予期せぬ雨というノイズが混ざり、スタッフもそれぞれが自分の役割を超えて動き回る、まさに「雑多な」空間でした。
そして、その雨の中で、マメヒコタオルを身にまとった人たちの間から、自然と小さな「雑談」が生まれていました。
「タオル持ってきてくれて、意外に役立ったじゃん」
「実は私、日本橋でタオル屋をやっていまして…」
そんな、たわいもない会話です。かしこまったビジネスの挨拶ではなく、どこかユルくて温かいおしゃべり。自分が作った布が、見知らぬ誰かと誰かの距離を縮めるきっかけになっている。その光景を目の当たりにして、気恥ずかしさと、それを上回る喜びが混ざり合い、思わずニヤッとしてしまいました。
完璧ではない、天候に振り回される現場だからこそ、その「雑」な隙間に人の温かさが染み込んでいく。そして、私の持ってきたタオルが、人と人との間を少しだけやわらかくつないでいることが、たまらなく嬉しかったのです。

「丁寧」に仕立て、「雑」に使い込んでもらう
一方で、この日、ロケに参加されていたゲストの方には、スタッフへの配り方とは少し違う形でお渡ししました。
第1回でもお話ししたように、私の家業が扱うのは、江戸の街が発祥とされる「ご挨拶のタオル」です。ビジネスシーンや暮らしの節目で、「これからよろしくお願いします」という言葉にならない気持ちを伝えるためのものです。
ですから、ゲストの方にお渡しする分には、きちんと「のし紙」を巻き、昔ながらの「粗品」の佇まいを整えてお贈りしました。
ゲストの方は、のし紙のついたMAMEHICOタオルを受け取ると、少し驚いたように、それでもとても嬉しそうに微笑んでくださいました。その丁寧な受け取り方に、こちらも自然と背筋が伸びるような、心地よい緊張感をいただきました。
渡すときは、どこまでも丁寧に、心を込めて仕立てる。
でも、ひとたび相手の手に渡ったなら、あとはもう、私のことなど忘れて、ガシガシと「雑に」使い込んでほしいと思っています。
日常のあらゆる場面で、雨に濡れたら頭に巻き、泥がついたらゴシゴシと拭き、何度も洗濯機で回されて、クシャクシャになっていく。タオルの端がほつれてきたり、色が少しあせてきたりする。それこそが、タオルがその人の「日常」に深く溶け込んだ証拠であり、私たちタオル屋にとって、これほど嬉しいことはありません。
MAMEHICOという場所が、様々な人や言葉が混ざり合う「雑多な魅力」に満ちているように、私の作ったタオルもまた、誰かの飾らない、雑多な日常の風景のなかに、そっと紛れ込んでいってくれたらいいなと思います。
雨の日のロケ現場で、スタッフの髪を濡らさないように守っていた、あのクシャクシャのMAMEHICOタオルは、今頃どんな表情をして、誰の生活を支えているのでしょうか。そんな、手渡した先にある物語を想像しながら、今日も私は、愛おしさを込めて日本橋の店で静かにタオル屋を営んでいます。


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