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暦の手帖に出てみたら

こんにちは。群馬・紫香邸メンバーの新井利佳子です。
私は生まれてから高校卒業まで群馬で育ち、東京で大学生活を送り、卒業後に地元へ戻りました。

変わりたいのに

小さい頃から、ひとの前で話すことが好きな子どもでした。
でも、なんとなく物分かりの良いほうで、いつもひとの顔色をうかがいながら行動していました。
そして大人になるにつれて、ひとからどう見られるか、どう思われるかを気にし、周りから求められる正解を探しながら生きてきたように感じます。

そんな私が群馬・桐生のMAMEHICO紫香邸を初めて訪れたのは、2025年5月末。
新卒で入社して3年間勤めた会社を辞めると決め、有休消化をしていた頃でした。
忙しく、やりがいのある仕事でしたが、今まで当たり前だと思っていたレールから一度降りて、「自分を変えたい」と思ったことが、退職を決めた理由のひとつでした。

「変わりたいのに」

そう心の中でつぶやいたことはありますか。
私は何度もあります。
そして、そのあとに続く言葉は、

「変わるのは難しい」
「なんで自分はいつもこうなんだろう」
「またダメだった」

そんな言葉ばかりだったように思います。

変わるためには、苦手なことでも行動したり、続けたりすることが必要だと思います。
でも私は、いざとなると怖くなって逃げてしまいました。
心の奥にはいつも、周りからどう思われるかを気にする気持ちと、自分の弱い部分と向き合う怖さがありました。

変わりたい。ちょっと行動する。続かない。逃げてしまう。

そんなループを繰り返し、自分をますます追い込んでいました。

出演者は私ひとり

そんな中、MAMEHICOに関わり始めて、「ああ、もう向き合うしかない」と感じた出来事があります。
今年(2026年)4月、桐生で行った「暦の手帖」の撮影です。
撮影前日の夜に台本が送られてきたのですが、私はそれに気づかないまま当日を迎えました。
何も事前情報がないまま、みんなで話している様子を撮るのだろうと思っていたら、なんと出演者は私ひとり(笑)。
え? え? と戸惑っているうちに、撮影場所へ着いていました。

そんな私の動揺とは関係なく、撮影は始まります。
もう、どう頑張っても逃げられない。やるしかない。

「こんな感じに話して」
「こんなふうに動いて」

多少の指示はあるものの、かなりアドリブが多く、思うようにできません。
一緒に撮影しているスタッフやメンバーのみなさんに、その様子を見られているし、聞かれているし、とにかく恥ずかしい。
それでも続けるしかありませんでした。

結局最後まで、自分の中で葛藤しながら撮影は終わりました。
正直、とても疲れたし、恥ずかしかったし、少し悔しかった。
周りの目を気にしてばかりで、目の前の撮影を楽しむ余裕がなかったからです。
できない自分も受け入れて、もっと純粋に楽しめたらよかった。
そんな思いが残りました。

周りの目を気にして一歩踏み出せないところ。
自分の意思で動くのではなく、正解を探してしまうところ。
うまくできないと思うと逃げたくなるところ。

たった一日の撮影でしたが、そんな自分の弱さと向き合わされました。
この一回で自分が変われるとは思っていません。
でも、ひとりで変われないのなら、誰かの力を借りてもいい。
そう思わせてくれた一日でした。

楽しいことだけすればいい

それから、井川さんにもらった言葉で、今でも何度も見返すものがあります。

「だから楽しむことだ。楽しいことだけすればいい。
他と比べてワタシはできそうもないとか思っても意味がない」

そのときの私には、その言葉がズドンと刺さりました。
ひとと比べることは昔からの癖でしたし、「本当に自分が好きなことって何だろう」と考えていた時期でもありました。

「私が、ひとと比べることも時間も忘れるくらい、夢中になれる楽しいことって何だろう」

そう考えてみると、最近楽しいと感じたことは、この三つでした。

・美味しいものを作ること、食べること
・庭づくりや畑仕事
・梅しごとなどの季節の手仕事

どれもMAMEHICOで経験できたことです。

紫香邸は、変わりたい私の背中を押してくれた場所です。
赤城山あんみつを山のように盛り付けることも、みんなでわいわい食べるご飯も、大勢で作る庭も、終わりの見えない草むしりも、初めて撮影に挑戦したことも。
ここで経験できたからこそ、一年前の私は想像もしなかった自分になっています。

この一年で少しだけ変われた自分と、まだまだ変わりきれない自分。
今でも、変わりきれない部分に悩むことはたくさんあります。
それでも、自分に素直になって、楽しいと思うことへ飛び込んで、逃げたくなって、また向き合って。
そんなことを、これからも続けていくのだろうと思います。