あたりまえをやる

みなさん、こんにちは。MAMEHICO東京スタッフの前島由紀です。
今日は「あたりまえをやる」についてのお話を。

先日、近所で老舗の古い喫茶店を見つけました。
8席ほどの長ーいカウンターがある。
その奥には素敵なカップ&ソーサーがズラリ、そして使い込んだ銅鍋や珈琲を淹れる道具が整然と並んでいる。年配の男性マスター、クラッシクの音楽が古いスピーカーから流れている。
店内にはいろんなところに絵が飾られ、チューリップ、フリージアなどの季節の花がさりげなく生けてある。常連の年配のお客さんが、ふとそのお花を見てマスターと何か会話をしている。
もう1人、やはり年配の男性のお客さんは明日から入院だ、ペースメーカーの電池入れ直さなきゃ、なんてマスターにこぼしている。笑

飲食店のキッチンには必ずと言って良いほどある食洗機の音は聞こえない。
そんなものは多分なくて、聴こえるのはガス火をつけるときのカチカチという音、お客さんの話し声、マスターの声、クラッシックの心地よい音楽と、珈琲を淹れる音が静かに流れていた。

昔の喫茶店はどこもモクモクで、ここもかつては喫煙可だったと思われ、白い漆喰の壁が黄ばんでいるのが時代の流れを感じさせ、なんとも味わい深い。
もちろん珈琲は一杯づつ手淹れ。ネルドリップで、マスターが丁寧に淹れている。
思わずお代わりしてしまった…美味しい。良いお店を見つけた。

私にとっての良いお店の条件とはなんだろう。
まず、清潔であること。清潔であるとは、そこにある家具や道具、すべてのものが大切に扱われていること。
店員さんが感じが良いこと。感じが良いとは、そこのお店に関心と愛着があり、誇りを持って働いているのが伝わってくること。
幅広い世代の人々が訪れること。お客さんが女性ばかりでも男性ばかりでもなく、若者だけでも高齢者だけでもない、老若男女が自然と集まること。
透明な味であること。食べ物、飲み物はホンモノの素材を使い、手間暇惜しまずに作られてあたりまえに美味しいこと。

そう、あたりまえ。MAMEHICOで働く私は「あたりまえをやる」ことがどれほど難しいかを痛感しています。
カフェ営業は、どれくらいのお客さんがその日来るのか分からない難しさがあります。
来るかなと構えて仕込んでも、お客さんが少なければ廃棄になる。逆もしかり。
だからスタッフ同士の気配り、声がけがとても大切なのです。

MAMEHICOの珈琲豆は開店以来、札幌から取り寄せていますが、注文する前には必ず在庫を確認します。
使用する野菜も卸の業者さんには任せず、スタッフが自ら市場へ足を運んでいます。
そうすることで、鮮度や状態をしっかり目で確かめ、さらに価格を見る習慣をつけることで、むやみと高いものを買わなくするためです。

最近、とくに野菜の値段が高いですよね。
こんなとき業者さんにFAXでキャベツなんか頼むと、とんでもなく高いキャベツが届いてしまう。MAMEHICOなら、そんなときはキャベツを買うのはやめて、畑に出向いて大根をもらってこようとかできるわけです。

またお店で作っている季節のケーキも、鮮度や香りを大切にしたいから、一度に大量に作りません。
お店で販売しているクッキーも、日持ちより、香りや味を優先しています。
だから予約制にすることで、お客さんにはご不便をおかけしますが、美味しいものを確実に届ける工夫をしています。

どれも決して効率の良いやり方ではありませんよね。
みんなでそうした気が遠くなるほどの細かいあたりまえをやることで、「あたりまえ」が提供できるのです。
毎日朝早く起きてお店に行き、暗くなるまで働いている私からすると、大変だなぁ…と根を上げそうになることもあります。笑
だけど、ひとつひとつ手間暇かかる仕事に携わっていることが、私の誇りになっているので辞めたいとは思いません。

先日見つけた老舗の喫茶店も、MAMEHICOも、あたりまえをやっています。
今年、MAMEHICOはおかげさまで20周年を迎えますが、さらに、さらに、100年続く、本当に良いお店を目指していきたいなと思っています。

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