糸島の様子を見に行って、さらに神戸で舞台があって。
紫香邸の庭の補修とキッチンの作り変えをして、新しいHPの改修、そして面白ラジオの脚本と収録。
まぁ、朝から夜まで働いてる私です。
MAMEHICOをやっていると、失敗なんて当たり前です。
季節のメニューが売れない、イベントに誰も来ない、スタッフが突然辞める。
そんなこんなが、しょっちゅうなわけです。
困ってるからと誰かが助けてくれるはずないんですよ。
そんなことは最初から期待してない。
助けてくれたらラッキーだけど、それはおまけみたいなもんです。
誰かがずっと資金を出してくれたわけでも、有名人が宣伝してくれたわけでもないけど、それでもMAMEHICOを続けてこれたのは。
全部、自分でやれるところまでやってきたからに尽きると思う。
気がついたら、あっという間に20年ですね。
そのあいだずっと休みなく走ってきて、よく考えたら、、、。
残ってるのはボクひとりだけ。みんな途中で、どっか行っちゃった。
まあ、仕方ないけど、ちょっと切ないわね。
「20年もお店を続けてるなんて、井川さん、並大抵の努力じゃなかったでしょ」なんて言われたりもします。
だけど、そう言われるとボクとしては「違うよな」って思っちゃう。
ボクは「努力」とか「根性」って言葉が、昔から好きじゃない。
世間はね、歯を食いしばって、じっと我慢して、最後に報われる──みたいな物語が好きだけど、ボクがやりたいのは、もっと軽やかなことです。
真面目に考えると、ボクがMAMEHICOを通してやりたいのは、「クスッと面白い喫茶店を、世知辛い社会において、どう続けていくか」ということに尽きると思う。
それは「頑張ったから」できるものじゃない。
一番大事なことは、「自分が楽しむ」ことです。
誰もやってないことをやるんだからね。
自分で考えて、自分でお金まで作ってやるんだから。
自分で楽しめなかったら、継続なんかできないわけですよ。
よくわかんないイベントをやってるのも、芝居や音楽をつくっているのも、壊れた古民家を再生し維持するのも。
そのモチベーションはすべて、「自分で楽しめるか」でしかない。
それははっきりと言えます。
クリエイティブは楽しんでこそ出てくると言っていい。
そういう意味でボクは、「自分が楽しむかについての努力家」だろうと思います。
ときどきいるじゃない、苦労こそ美徳みたいなヒト。
そういうヒトがいると、周りまでその空気に引っ張られちゃうでしょ。
「辛くても我慢します」なんて泣きながら言われたらね、せっかくボクが作った楽しい空気も、さっと消してしまう威力があるからね。
儲かるとか、儲からないとか、大きいとか、小さいとか、そういう尺度でやってこなかった。
ただ楽しめるか、そうじゃないかだけでやってきたから。
それはいまさら変えられないと思う。
でもおかげさまでね。自分が楽しんでるとね、どれどれってヒトが集まって助けてくれたりもするもんです。
