こんにちは。MAMEHICO神戸・御影スタッフの水野知帆です。
先日、井川さんが神戸に来たときのことです。
東京には、それこそ星の数ほどのカフェがあります。
生き馬の目を抜くような激しい競争の中で、MAMEHICOがどうして20年も続けてこられたのか。
私はそれを尋ねました。
「うちなんか、価格も味も勝てない店がいっぱいあるよ。
空間も接客も立地も、もっと洗練されたカフェなんて山ほどある。
それでも続けてこられたのは、『触れるもの』を大事にしてきたからじゃないかな」
井川さんはそう言いました。
『触れるもの』とは何か。
手が触れるテーブルの肌ざわり。唇が触れる器の飲み口。
指が触れるカップの持ち手。目に触れる花や草や器の輪郭。
「言葉以上に、『触れる』には人の心に届く力がある。ボクはそれを信じてる」
そう言って、井川さんは話を続けました。
「たとえば、何かに行き詰まって、ふらっとMAMEHICOに入ってきた人がいたとする。
怒ってるかもしれない。迷ってるかもしれない。何かよくないことに手を伸ばそうとしてるかもしれない。
でも、無垢の木の扉に触れて、重さを感じて、少し沈むソファに腰を下ろし、器に手を添えてカップを持ち上げる。
唇に触れる飲み口、木目の手ざわり、目の前の草花。
そういうものに一つずつ触れていくうちに、張り詰めていたものが、少しずつほどけていくかもしれない。
『やめようかな』って、ふっと思い直すかもしれない。
誰かに何か言われたわけじゃない。
ただ、『触れる』ことで、その人の中の何かが変わる。
そういうことは証明できないけど、あると思うんだよ」
実際、20年MAMEHICOでは、大きなトラブルが一度も起きていないそうです。
私はただ驚きました。
トラブル防止のために、私なら防犯カメラを設置するとか、注意書きを貼るとか、そういう対策しか思いつかないからです。
「御影で使ってる食器、江戸時代の職人が手で作ったものだよね。
それをシホはせっせと割って、『すいませーん』ってヘラヘラ謝ってる。
そりゃ落とせば割れるよ。でもね。
二百年、大事に使われてきた器の『思い』を、そこで断ち切ってるってことでもあるんだよ。
そういうことはね、一度考えてみたらいい」
私は何も言えませんでした。
ただの『高そうな器』だと思っていたものが、『思いのバトン』に変わった瞬間、胸が詰まって、涙が出そうになりました。
御影店の壁一面を覆う大きな棚。
あれも、MAMEHICOパート3のときに特注されたもので、いくつもの店を渡り歩き、十五年かけてようやく御影にたどり着いたのだそうです。
長く使われてきたものには、目に見えない『思い』が宿っている。
この店にも、私の知らない『思い』が、まだたくさん眠っているのだと思います。
そして、私自身にも。
両親や先生、友人たちの『思い』があって、今日まで生きてきたのだなと、あらためて感じました。
壊れたら買い替えればいい──私はこれまで、そう思って生きてきました。
だから、自分のこともどこか、使い捨てにしていたのかもしれません。
でも、井川さんのこの話を聞いてから、私の見ていた世界は、すっかり変わってしまったのです。
