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ヨシノ公演「脱走兵と群衆」
観終わったあと、みんなどこか圧倒された顔をしていた。
それだけで、たぶん、足りる。
とんでもないものを観てしまった‥
泣くところも、気になる人物も、心に残る言葉も違っていて、自分の変化にいちばん驚いたのは、私自身でした。
数日たった今、思い返してまず鮮明に浮かぶのは、「なんて生き生きと輝いているんだろう」という驚きです。こんなふうに感じるなんて、まったく予想していませんでした。
これは絶対に観といた方がいい。なぜならこのような作品は、ここでしか生まれ得ないし、ここで生まれるべくして生まれた作品だから。「脱走兵と群衆」は別名「MAMEHICO」そのものだ。井川啓央が20年かけて培ってきたプロダクトの集大成なのだ。
歌を聴いた途端、さみしさが堰を切ったように溢れ出し、「わたしもひとりじめしたかった。わたしだけを見てほしかったの」という感情が次から次へと溢れて涙が止まらなくなりました。
舞台に立つのはヨシノただ一人。けれど、そこには確かにミーリンが存在していました。役者が一人であることは制約ではなく、むしろ想像力を強く刺激する仕掛けでした。
声の出し方、間の取り方、立ち姿、ほんのすこしの空気の変化だけで、「あ、今もう別の人だ」と、気づけばその世界の中にすっと入り込んでいました。
これは、一人芝居というより"生き方の告白"。シャンソンの精神——きれいごとを歌わず、弱さと醜さを抱えたまま生きる——という美学が、この一人芝居の味わい深さを支えている気がします。
至近距離から放たれるヨシノさんのエネルギーの強さに、歌唱の場面では思わず目を閉じてしまうほど。「同じ空間を共有する」ことでしか得られない感動が、確かにあるのだと思いました。
誰もが"正しさ"に酔って「脱走兵」に石を投げる。それでも「群衆」の中に"匿う人"がいる。「一人の行為」は世界全体から見れば小さな温もりだけれど、その温もりが人を生かす。これこそ、奇跡の最小単位なのかもしれない。
この舞台を観ていて感じるのは、無理に感動させようとしていない、ということ。泣いてもいいし、よくわからなくてもいい。
「自由とは何か」を体で見せる舞台です。
劇の終盤の歌に励まされ、感動で涙あふれたのに、はい脱走!とはまだなれない。でも少なくとも、そんなどうしようもなく臆病な自分を真正面から見つめ、蓋をしてしまった想いに再び光を当てることができた時間でした。
エトワール★ヨシノの一人芝居だけれど、私にはミーリンも弟さんも、子どもや旦那さん、お義母さんたちも、みんなあの場に存在しているように観えて、そのことに胸を打たれました。
PAなんて鼻たらして、「ウッウッウッ、井川さんてホンマ天才ですやん」って嗚咽してたし。うまく言えないけど、優しくて、温かくて、なにかが残る。そんな舞台になってる気がする。
ヨシノの舞台は毎回豪速球ストレート。これを受け止めた我々の人生もきっとなにかが変わるはずです。
実際に足を運んでくださった方の多くが、「すごいものを観た…」と、どこか圧倒されたような表情で帰っていかれます。東京・銀座のカフェの片隅で、こんな熱量の物語を紡いでいるヒトがいるんです。