コミュニティが大切、という言葉をよく聞きます。
「つながりが大事」「ひとりじゃないよ」といった話がもてはやされています。
ボク自身も、メンバーシップ制のカフェなんてものをやってるもんですからね、「コミュニティは良いもんですよ」っていう口ぶりで、話したり書いたりします。
昔は、会社や地域、家族といった強固なつながりがあったわけです。
でも今は、仕事も住む場所も流動的。
人間関係を築こうにもコンプライアンスだったり、あまりに便利になりすぎたシステムによって、強い人間関係が築きにくくなってしまっている。
それなのに巷には安かろう悪かろうの商品で溢れ、メディアには間違った情報も多い。
すべての選択を「自己責任」とされてしまったら、「もう無理」となる。
疲れたヒトたちが、「頼れる場」を求めるのはある意味、当然だろうと思ったりする。
それで小さなイベントを仕掛ける。
そうすることで他者とぶつかる機会をあえて作り出す。
自然と小さなぶつかり合いを仕掛けて、それが積み重なると人間は変わったりする。
自分が変わりたいと望んでいるヒトは多い。けど、他者とぶつかるのは誰だって怖い。
せっかく入ったコミュニティで、他者と揉めるなんてごめんこうむりたいと思うヒトも多い。
だけど、他者とぶつかってるというのは、自分とぶつかってるということでもある。
「他人なんてものは所詮、他人。自分とは違うもので、付き合えるところだけ付き合っていければいい」と思えればしめたもの。
「ぶつかっても大丈夫」という安心感を演出することが大事になってくる。
他者とぶつかっても平気という体験を積めれば、信頼やつながりが強くなって、一つの価値観を共有できるコミュニティを作っていける。
ただヒトが集まることには、良い面もあれば、悪い面だってあります。
自分の意見を持ちづらくなる。
みんなと一緒にいる安心感に慣れすぎて、気づけばひとりでは何も決められなくなる。
自立した思考や行動力が鈍ってしまう。
「みんながそう言ってるから」と流されるうちに、自分の考えを深める機会を失ってしまう。
同調圧力が生まれることもある。
異なる考えを持つことが難しくなり、結局、似たような意見ばかりが繰り返される場になってしまう。
「みんなでいること」が目的になってしまって、本来の成長や学びが失われていく。
特に、専門的なことに特化したコミュニティでは、考えが偏りがちですね。
ひとつの分野にこだわりすぎれば、考えの幅がせまくなってしまう。
新しいアイデアや違う分野のヒトとの交流がなくなって、だんだんと似たような考えばかりになる。
やがて、コミュニティの中だけで通じる内輪話ばかりになって、居心地が悪くなる。
結局のところ。長く続く質の高いコミュニティっていうのは、バランスなんだろうと思います。
安心して話せる場でありながらも、考えを広げるチャンスがあるよ、とかね。
みんなが集まれる場所として機能しつつも、そこにしがみつかない、とかね。両端があるっていうのかな。
それは学校でも、企業でも、家庭でも、そうでしょう。
コミュニティなんてもんはあくまで「道具」なんであって、それに縛られない、程々のバランス感覚が大事なんだろうと思います。
