先だって、六本木のカフェで珈琲を飲んでいたときのことです。
少し離れたテーブルで、中年の男性が大きな声で話していたんです。
年の頃は五十代後半くらいかしらね。
話しぶりも堂々としていて、彼のまわりには4〜5人の男女が集まって、熱心にうなずいておられる。
「なるほどですね」「たしかに、たしかに」「目からウロコです」──そんな言葉が飛び交ってる。
先生と呼ばれる彼のはなしは、さぞ有益なんだろう。
ボクはそう思って、しばらくその先生のはなしを盗み聞きしてみたんです。
先生曰く、「べつにね、簡単なハナシなんだよ。なんでみんな難しそうに考えるのかね」
──と、終始一貫この調子なんです。
つまり「世の中は簡単である」、それを手を変え品を変え、周囲に繰り返しているわけです。
なるほど、こんなふうに自信たっぷり「簡単である」と言い切れば、先生、先生と慕われるのか。
ボクも真似してみたいなとそのときは、思いました。
で、はなしを聞きながら、MAMEHICOのことを考えてみたんです。
20年この店をやってきて、「世の中は簡単である」と、口が裂けてもボクは言えません。
むしろその逆で、「世の中は不条理で、簡単そうに見えてまことに難しい」、そんな実感ばかりが残っている。
それは年を重ねるごとに、ますますそう感じているのだから、先が思いやられて溜息が出る。
MAMEHICOをやっていますと、「絶対に難しいに決まっていて、突破する方法は今は思いつかないけど、とりあえずやってみる価値はあるから、ひとまず手を付けてみたほうがいい」という問題や課題ばかりに直面している。
それを見た周囲の若い女の子は、「井川さんて、めんどくさいこと好きですよね」と言ったりする。
無神経なやつなので、そんなやつとはしばらく口をきくのを止める。
「あのね、そんなことはまったくないんですよ。できることなら、ボクだってラクをして生きたいです。遊び三昧、道楽三昧に憧れているんです」──ボクだって俗物なんです(涙)。
しかし、現実はその逆ね。
どういうわけか、ボクのところに来る話は、いつも金銭的にも時間的にも割に合わないはなしばかり。
面倒くさい、リスクがある、人間関係もややこしい。
だけど、誰かがやらなきゃいけない、本質的な問題が、ボクの専門分野みたいになっている。
世間を上手に渡り歩いておられる、損得や効率をすばやく計算できる方々は、そういうことには絶対に手を出さないだろうと思う。
やっているように上手に見せかけて、実はやらない。そんな術を身につけたヒトが、何人も頭をよぎる。
「とりあえずやってみなきゃわからない」と、安請け合いをし、気づけばヤケドを負い、「まぁ楽しかったからいいや」とヘラヘラ笑って焼き栗を拾う。
それは、おそらくボクのような計算のできない人間なのでしょう。
「世の中は簡単である」と言い切ってるヒトがいたら、あなたは誤解しないように注意が必要だ。
彼は「難しい問題を簡単に解決したヒト」と誤解してはいけない。
「簡単に解決できる問題をしれっと選んできたヒト」なのかもしれないのだ。

メンバー説明会
「MAMEHICOに、
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そんな方へ向けた、
小さな説明会を開きます。