2005年7月1日。
三軒茶屋で、小さな店を開いたことが、すべてのはじまりでした。
あれから今日で、ちょうど20年です。
これは──分かるヒトにはわかるし、わからないヒトにはわからないという話なんだけれど。
東京でカフェを続けてきて、ボクが一番驚いたこと。
それは、実に多くのヒトが、孤独を感じ、居場所も持てず、不安を抱えているという事実です。
仕事がないとか、家族がいないとか、そういうことじゃないのに。
表面的には裕福で、幸せそうに見えるヒトも、心の奥で虚しさを感じている。
そんなヒトが、こんなにたくさんいるんだということをMAMEHICOを通して知って、ボクは驚いたし、それはどうしてなんだろうと、随分本を読んだり、勉強したりして考えました。
とくにうちは若い女性スタッフが多いので、彼女たちが、これからどうしていったらいいだろうかと、ボクの前でワンワンと泣いたりするので、───それも一人や二人じゃなく、束になってワーワー、ワーワーと嘆くので。
もうこれは本腰入れて、この国と向き合わないとダメだなと思ったところから、今に至るわけです。
たしかに。
ボクが子どもの頃と比べて、この日本という国は、ずいぶんと変わってしまいました。
ボクの小さいときは、近所の玄関は開いていたし、ボクの家も開いていて、隣のヒトが台所まで覗きに来る──まだそんな時代でした。
何より子どもがたくさんいたし、地域のつながりもあって、定型の家族のかたちを整えれば幸せになれる、そんな時代でありました。
でも今は、その「当たり前」が、まるで別のものに変わってしまってます。
MAMEHICOをやめたいと思ったことは、正直何度もありました。
けど、この場所が、たくさんのヒトの居場所になっていたことを、ボクは知ってます。
だから、おいそれと止めるわけにもいかなかったんです。
自分が踏ん張ってなんとかなるなら続けよう──そう思って、ここまでやってきました。
コロナ禍のときもそうです。
コロナ禍が明けた今、材料費の高騰は続いていて、不景気はもっと強くなってきていますから、飲食店をめぐる環境は相変わらず厳しいままです。
同業者の皆さんも、さぞ大変だろうと思います。
それでもボクたちは、「仕方がない」と諦めたくない。
「自分の子どもに食べさせても平気なものを、自分たちの手でちゃんとつくる」──その思いは手放したくない。
どうやらそういう無骨なところが信用になっていたようで、最近は「やっぱりMAMEHICOさんに10年ぶりに戻ってきました」というお客さんが多く、MAMEHICOはにぎやかな空気に包まれています。
これからもっと大変な世の中になっていくでしょう。
でもボクは、基本的に「楽天主義」なんです。
「どうせ大変なら、面白可笑しく」という気持ちが強いのです。
失敗したって、またやり直せばいいだけ、いつも思ってます。
だから、まわりが反対したって、呆れられたって、20年のあいだMAMEHICOは自分たちのやりたいようにしてきたし、これからもそうするつもり。
ボクはMAMEHICOを通して、ほんとうにたくさんのヒトと出会い、いろんな経験をさせてもらいました。
甘いことも、苦いことも、苦い経験のほうがずっと多かったけれど、そのおかげで今がある。
そういう意味でMAMEHICOは、ボクにとっての学校だし、来てくれたお客さんや、一緒に働いてくれたスタッフが、ボクの先生だった気がしてます。
これからさらに、「この店を一緒につくってみたい」と思ってくれるヒトたちが、たくさん現れるんだろうと期待しているし、楽しみにしています。
そして今日からまた、一歩ずつ前に歩みを続けていけたらと思っているのです。
