こんなことがありました。
事務所で使っていたお櫃が壊れたんですね。
もう20年以上前に買ったもので、作っていた桶屋工房もとっくに廃業していて、修理も難しい。
なので、「この際、桐生にある桶屋さんで新しいお櫃を買おうか」と、ボクはスタッフに話しました。
するとみんな、「そうですね」と口々にうなずいて、「早速、桐生のスタッフに頼んでおきましょうか」となりました。
ところが、そのとき話を聞いていたひとりのスタッフが、口を開いてこんなことを言ったんです。
「あのですね。いま三茶で使ってるお櫃、あれ小さいんですよ。毎回炊いたごはんが入りきらなくて、結局ボウルに移したりしてる。今回小さいお櫃を買うんだったら、三茶用に大きなお櫃を買って、三茶で使ってる小さいほうを事務所に回したほうが無駄がないんじゃないですか?」
んー、なるほど。素晴らしい指摘です。
すると、ほかのスタッフが次々に言い出しました。
「あっ、それ私も思ってた」
「ごはん入りきらなくて使いづらいんだよね」。
たとえば、こんなこともありました。
マメヒコ特製の、玄米から特別に作ってもらった米麺があるんです。
この米麺を使った和え麺が、この春、グランドメニューから外れて、だいぶ余った。
「あのまま米麺、ほっておくのはもったいないよ。夏だし、和え麺を復活させたらどうかね?」とボク。
するとスタッフたちは「そうですね、そうですね」と同調し、「早速、たれのレシピを新しく考えましょう」と、前向きな声があがった。
ところが、ひとりのスタッフがそこで冷静に言ったんです。
「新しく始めたばかりのお弁当、あれまだ浸透してません。だから、お弁当用に作ってるお惣菜が、店で使い切れずに余って困ってる。そこにもってして和え麺を加えたら、メニューが多すぎて、ロスが増えて、とても困ると思います」
んー、なるほど。これまた素晴らしい指摘です。
すると、ほかのスタッフたちが「たしかに、たしかに」「お弁当のお惣菜、使い切れず困ってるね」と言い出す。
「あのさ、あんたたち、いつもいつも、馬鹿なの?」
とボクは言いました。
みんなは「たしかにー」と笑いました。
こういうことが、MAMEHICOでは日常茶飯事です。
いわゆる見えていない問題は、お店にいくつもあるはずです。
それを顕在化した「問題」としてみんなに認識してもらう。
そのプロセスに、ずいぶんと時間がかかるのです。
このプロセスをできるだけ短くし、どんどんと改善していく、それがMAMEHICOでのボクの仕事のひとつなのです。
スタッフというのは、不便を感じていても、なかなかそれを言い出さない習性がある。
ちなみに、ボクがこういう性格ですから、お店の雰囲気がものを言い出しにくいというわけでもありません。
ただ単に、
「不便と感じているのは自分だけかもしれない」
「たしかに不便ですけど、もう慣れました」
そんなふうに、自分が感じている問題を内省化してとどめ、言語化して共通の認識とすることに極めて消極的なわけです。
どうやらこれは、うちだけの問題ではないようで、
「問題を口にするヒトは空気が読めないヒト」、そんな風潮が学生時代の経験や前職での体験にあったという話もよく聞きます。
言えば損をする、言えば浮く。
そういう意識がこの社会に蔓延している、それはコロナ禍のときに痛いほどよくわかりました。
「いや私、それ前から思ってて、一度か二度は他のスタッフにも言ったんですけど、だれも真剣に受け止めてくれなかったから、まあいいのかなって流しちゃいました」
こういう言い草も、よく耳にします。
繰り返しますが、ボクの役割は、こういう潜在化している問題を顕在化させることです。
そのためには、それを何百回も言い続けるしかない、それがボクの経験則です。
ときに疎まれたり、足を引っ張られたりすることもあります。
口だけ野郎のでかい態度にカチンとくることもあるけれど、大事なことは、めげずに根気よく続けなきゃいけないのです。
これって、勉強のできるヒトにはできないんじゃなかろうかと思うこともある。
だって「コスパ重視」の時代に、誰がやるんですか、このめんどくさいことをっていう話です。
「気づいたヒトにはポイントをあげます」「役職を上げてあげます」、インセンティブの仕組みを導入すればヒトは喜んで動くって忠告するヒトもいたけれど、そんな単純な話じゃないよとボクは心のなかで思います。
結局、ヒトをまとめていく、ヒトと関わっていくということは、仕組みも大事だけれど、しぶとさ、しつこさ、そして泥臭さはどうたって必要だと思うんです。
スマートな子育てはできないのと同じです。
泥臭いところを見せてはじめて、ヒトは他者を信頼する。
昔のヒトより、いまのヒトのほうがずっと疑い深くて用心深いので、むしろ、さらに泥臭くが求められているんじゃないかと、ボクは思います。
