ユーモアと温かさと

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紫香邸に通ってるんですけどね。やってることっていったら、せっせと片付けです。
築90年になる古い邸宅を預かってみると、本当に大事なことは「つくること」じゃないな、「保つこと」なんだなってわかる。

何かをつくるっていうのは勢いでできるでしょ。お金があればなおさらね。
でもね、保つってのは勢いじゃない。根気、何より「心」が要るよ。
「古い建物ってお金がかかるでしょ、大変よね」って言ってくれるヒトいるけど、お金があったって保てないよ。
要るのは、「心」ですけどって言いたい。

紫香邸に初めて足を踏み入れたときは、埃かぶった古道具が、押し入れの中に、文字通り押し込められててね。
それをひとつひとつ引っぱり出しては、要る要らないに分けて、何度も何度もゴミを運び出したわけ。
そうやって、ようやくヒトを迎えられるMAMEHICOになって、今は2年目。
最近は庭の手入れに取りかかってる。

庭仕事って言ったって、べつにだれかに見せるためにやってるんじゃないのよ。プロの庭師じゃないし。
だけど、放っておかれて息も絶え絶えだった庭が、手を入れ始めると呼吸をしてるのがわかるのね。
風が通って、光が差してくると、不思議と建物全体の空気がキラキラと変わる。
「ああ、紫香邸って生きてんじゃないの」って思うわけ。

掃除ってあれ、ホコリを取るためにやってるんじゃないのよね。
「汚れてないから掃除しない」ってヒトいるけど、それ違うから。
掃除ってのは空間の気配を整えること。
だから、ミニマリストって言うの?極度のきれい好き、Less is more、っていうのもどうかと思う。
掃除ばかりに目がいって、冷たい気配、つまらない空気がその場を支配しちゃ、しょうがない。
まずはヒトを喜ばせないと。

神話なんかを読むと、ヒトが集まって「ちらかり」が積もってきたって書いてあるのね。
その「ちらかり」が溜まりすぎて、そこから悪神が生まれ、争いが起き世が乱れたと。
もともと「悪」なんて存在しないけど、掃除しないで、汚れがたまってくると、そこに「悪」が宿るって言うんだね、面白い。

だから日本には「お祓い」があるんだよ。
祝詞を読んで、場の気を整えて、きれいに保ち始めると、命は再び吹き返す。
紫香邸もそう。掃除も祝詞もおんなじだよ、目的は。

掃除が行き届いた場所に行くと、ヒトの声は穏やかになるし、動きも丁寧になる。
だからヒトを整えようと思ったら、場所を整えたほうがいい、手入れをしたほうがいい、というのがボクの考え方。
エデュケーションだなんだって言ったって、場が整ってないところ、それでも平気なヒトは言ってること立派でも信用できないなって思う。

古いものを、きちんと手入れしたものは美しい。ボクは美しいものが好き。
場って義務感で守るより、空気を入れて、自然とみんなが集まるようにしたほうが良い。
みんなの手が入りやすいようにすることが、場を守っていくってことだとボクは思う。

紫香邸の手入れに、終わりなんてないでしょ。変化しながら、あの場を生かしてく。
「保つ」には「心」が大事で、その「心」とはなにかと。
ボクに言わせれば、それはユーモアと温かさです。

どの植物も、みな明るくて温かい。いじけて、死のうと思ってるやつなんていないよ。
暗いところ、涼しいところが好きとか、それぞれ個性はあっても、生まれたものは必ず上に伸び、種を残そうとする。
そういうのが物事の本質じゃないかと、「片付け」しながら思います。

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