MAMEHICOメンバーの呉美和と申します。
先日、MAMEHICOが20周年を迎えられたとの知らせを日野さんから受けました。
20年、20年、20年!!
久々の日野さんからのメールに充分動揺しているのに、追い打ちをかけるように、とんでもなく立派な神々しい数字が並んでいる。
東京の真ん中で、20年という長い歳月にかけてお店を営むということは、びっくりするほどに奇跡的なことであるはずで、その偉業を成したMAMEHICOはやっぱりすごい。
私は15年ほど前にMAMEHICOの三軒茶屋店、渋谷店でバイトをしていて、その節は大変お世話になりました!
MAMEHICOで働く前にはお客さんとして何度か足を運んでいて、当時から数あるカフェの中でもMAMEHICOは異彩を放っていて、◯◯系といったジャンルには決しておさまらない、タダモノジャナイ感がびしばし匂っていたことを記憶しています。
ボディワークのインストラクターとして駆け出しの頃でしたので、本筋一本で生計を立てるのには到底難しい状況から、バイト先を探していた時に、MAMEHICOが1番に頭に浮かび、その門を叩きます。
面接のその日、井川さんと初めて対峙した時にはジブリの世界に迷い込んだかと錯覚するような不思議な空気に包まれ、その日を境に今まで客席側で舞台を眺めていた私は、その舞台を動かす側に回ります。
憧れのユニフォームを身につけて、お店に立つ時の緊張感、清潔に整えられたキッチン、道具を扱う作法、コーヒー豆の描かれた品の良いカップやお皿。
書き進める中で当時の記憶が蘇るものですね!
レモンケーキ、焼きりんご、お豆のカレー、トースト、クロカン、カンボジアプリン。
MAMEHICOのメニューはどれも特別で、キラキラしていて、私はいつまでたってもその特別感に慣れることができずに、逃げ腰に恐る恐る盛り付けをしたり、切り分けたり、注いだり、サーブしたり。
1番好きな人とは結婚しない方が良いと言うけれど、確かにそんなに好きなカフェじゃなければ、私はもう少し使えるスタッフになれたかもしれない。
あの頃は、“好き”が大きすぎて、肩に力が入りっぱなしだったんだと思います。
MAMEHICOの特別感はメニューに限らずで。
中でも井川さんの様々な発信は当時の私にとって、何だかわからないけど、世の中の大人たちが伏せたがっている、“本当のこと”を伝えてくれているような気がして、特にラジオは欠かさず楽しみに聞いていたことを記憶しています。
具体的な内容は断片しか覚えていないけれど、MAMEHICOチルドレンとして、目にしたこと、耳にしたことは、知らず知らずに私の血管に流れていることに、20年の節目のタイミングに気付かされます。
一般的な普通の枠にとらわれずに、いつも果敢にチャレンジをしている、そんな精神性も学ばせてもらったなあ。
コーヒーを淹れること以外に学んだことの方が、もしかしたら尚多かった気がします。
あの頃よりちょっぴり大人になった今、20年間MAMEHICOを支えてくれていたみんなに心から敬意を示したい気持ちです。
続けてくれてありがとう。
育ててくれてありがとう。
移住してから足が遠のいていましたが、東京に行く際にはお家に帰るみたいに立ち寄りたいな。
次の幕開けも、今まで通りの特別感と、より一層新しく進化し続けるMAMEHICOを心から応援しています!
