こんにちは、MAMEHICO神戸・御影スタッフの水野知帆です。
MAMEHICO御影店では、注文した温かい飲み物を江戸から明治時代の古伊万里の器でお出ししています。
飲み物によってその種類を使い分けていて、珈琲には蕎麦猪口を、紅茶・日本茶にはお椀型の器でお出ししています。
一点ものの器なので、それぞれ柄が異なり、自然の風景を描いたものもあれば、龍の絵を描いたものもあります。
私は美術館で絵を見るのが趣味なので、器を手に取り、ぐるりと回して眺めると、まるで一つの絵画を見ている気持ちになって楽しいのです。
さて、これらの骨董は井川さんのチョイスによるものです。
正直、私はMAMEHICOにお客さんで来始めた頃、古伊万里で珈琲を飲むなんて落ち着かないなと思っていました。
お店で働き始めてからもスタッフとして、割ったらどうしよう、高いんじゃないかな、という気持ちばかりで、少し敬遠していたほどです。
けれど、井川さんは、骨董の器はたとえ価値あるものでも、飾っておくのではなく、どんどん使おうよという方針を貫いているのです。
以前、井川さんがお客様にこんな話をしていたのをそばで聞いてました。
「ボクは骨董を選ぶとき、誰が作ったかとか、希少価値があるかとか、そういうことにはあまり興味がないんですね。それよりも、その器にどれだけの時間が注がれたのかのほうが気になる。例えばこの器。絵柄は一つ一つ職工の手と絵筆で描かれてる。ハンで押せば大量生産はできるけれど、これは筆で書かれてるからね。想像するだけで大変な手間ですよ。
器に描かれた花の文様が少しずつ違う。それだけで、その大変さがわかります。つまり職人が向き合った時間がこの器の価値なんだと思うのね。そしてその手間や時間がこの器に温もりを持たせている。
だからボクは器は道具というのは引き継いで使ってあげなければダメだと思う。さらにボクたちの時間をそこに注ぐというのかな」
自分は、井川さんとまったく逆の基準で物事を選んできたなと、このとき思いました。
できるだけ名のしれた大学や会社に、なんとか効率よく入れる方法はないかなと考えたり。
趣味の美術館巡りだって、有名な作品をどれだけたくさん見られるかのほうに重きがあった気がします。
深く考えてたわけではないですけど、今思い返すと、なにをしても自分に自信がなかったなと思います。
できるだけ有名なものを身にまとって、小さな自分を大きく見せたいという焦りみたいなものです。
ずっと小さなことをないがしろにしてきたから、自信がつかなかったんだと思います。
MAMEHICOの仕事は地味で地道なことばかりで、効率よくやりようがないのですが、それでも東京のスタッフはとても上手に働いています。それに比べたらワタシなんて…。
でも小さなことをコツコツと続けてきたおかげで、大きく見せたいという気持ちは不思議となくなりました。
そして古伊万里に向き合った職人の方に意識が向くようになったのです。
名もなき職人のように、私も一つ一つ小さな仕事に向き合えていたい。
店内にある器たちが、ダメな私を励ましてくれている気がするのです。
