みなさん、こんにちは。MAMEHICO神戸・御影の渡辺みゆきです。
MAMEHICO神戸がオープンして、気がつけば約2年半が経ちました。
今日は──私は最近、神様を信じるようになったという話を、ひとつ聞いてください。
正直言って、うちの若いスタッフ──あえて名前は伏せますが──彼女にトホホな日々は継続的に続いています。
たとえば、つい最近のことです。
私たちの店では、いつも順番に休憩を取るのが習慣です。
忙しい作業の合間を縫って、手が空いたスタッフから順に、まかないを食べてひと息ついていきます。
近くに気軽に外食できるような場所もないので、基本的には店内で、簡単なまかないを用意して済ませています。
本当は、みんなで一斉に休憩を取れたら理想なのですが、それはなかなか難しくて。
だからこそ、スタッフ同士がさりげなく様子を見合いながら、譲り合って順番に休憩を回しているんです。
その日、店長はMINIに立ちながら、発注などの事務作業も並行していて、休憩はいつものように最後になりそうでした。
私は若いスタッフに、「さき、お昼取っちゃっていいよ」と声をかけて、そのままホールで接客へ。
しばらくして、「ごちそうさま、休憩ありがとうございました」と彼女が戻ってきたので、私は言いました。
「じゃあ、店長に次、休憩取ってって伝えてきてよ」
すると──「ほえっ?」と返してきました。
「ほえっ?ってなに?」
「──あっ」
「ん?」
「いや、店長、休憩取ってないんですか?」
「ん?取ってないでしょ。だって、ずっとMINIで接客してるでしょ」
「ですよね──」
「ていうか、なんで?」
「いや──」
「なによ?」
「残ってたまかない、全部捨てちゃったから」
その瞬間、私の脳天に──1000Vの雷が落ちました。
「捨てた? まかない? なんで?」
「私が最後だと思ったから」
「えっ? でも捨てるか? いや、ていうか、あの、私もまだなんですけど」
「ほえっ!!? うわっ、まじっすか、いやー、うそー、ゴミ箱、ゴミ箱」
私なら、最後のひとりを確認してから、残り物は片付けます。
でも若いスタッフにとっては、自分が食べ終えた時点で、全員が「終わった」と反射的に思うらしいのです。
そしてどうしてそうなったと聞いても、「私そういうとこあるんで」と悪気なく笑うだけなのです。
私は落ち着くために白湯を一杯飲んで、「店長には、おにぎりでも握るね」と笑って若いスタッフに返しました。
若いスタッフは「そうしてください」と答えました。
ぐっと堪えるのが私の正解なんだと、私は思うことにしたのです。
だって若いスタッフは悪気がないんですから。責めてしまうのは違うと思って。
責めたところでよくなるはずもなく。
でも、その「自分以外の誰かがいるはず」という想像を、一切含まない判断に、私は強いショックを受けました。
だってこれは、MAMEHICOの普通のお客さんに対しても、それに近いことをしてるってことになるので。
このまま若いスタッフにここにいてもらって、いいのだろうか。
驚くことに、まかないを誰にも声をかけないまま、捨ててしまう事件は、それからも何度か繰り返され、いつも犠牲になってる店長は、日に日に痩せ細っていっています。
私はまかない事件の再発防止策として、「食べ終わったら捨てる前に全員に声をかけること!」と若いスタッフには伝えるようにしました。
それでも無理なら、紙に大きく名前を書き、食べ終わった人が自分の名前を消していく。
そういう工夫もしないとあかんかなとも思っています。
──といってもですよ、たった四人しかいないんですけどね。トホホ。
堪えるとさっきは言いましたけど、私もそれほど人間ができていません。
正直、どこまで堪えられるかわかりません。
そこで我らが井川さんに相談しました。すると井川さんはこう言いました。
「それは、みゆきが神を信じるしか解決策はないんじゃなかろうか」と。
井川さんいわく、神様は意味があって私に、そのような人間を引き合わせたに違いないだろうと。
たしかに。ひとつひとつ「えっ?」と思うことが起こるたび、「私はどうすればよかったんだろう?」と考えるクセができました。
これはとても大きな私の成長になりました。
そうやって立ち止まる機会をもらえること自体、神さまが私を育ててくれているのだと、井川さんは言うのです。
神様とはなんて意地悪で、なんて慈悲深いのでしょう。
経済合理性では到底説明できない珍事が、お店の裏では、毎日、神の手によって起きているのです。
私は最近、神様を信じることにしています。
