十年ほど前だったと思う。
地方のホテルに泊まったとき、廊下でベッドメイキングをしている若い女性と目が合いました。
肌の色が日本人とちがって褐色で、すぐに東南アジアのどこかから来ているのだろうとわかる。
こちらが部屋から出てエレベーターに向かおうとすると、向こうもシーツを抱えたまま立ち止まって、恥ずかしそうにこちらを見ている。
挨拶をしたほうがいいのかどうか。迷っているように見えました。
結局、互いになんかぎこちない会釈のような、どうとも言えない曖昧な仕草で、そのまま別れたものでした。
エレベーターに乗って、あの娘はどこから来たのだろう。
何歳くらいなのだろう。
どんな生活をして、どれくらいこの国に滞在しているのだろう。
そんなことを、当時のボクはぼんやりと考えていました。
それが、もう10年ほど前のことだと思います。
それから。これもずいぶん前のことですが、礼文島へ行ったときのことです。
海産物の工場にお邪魔したときにびっくりしたんです。
新巻き鮭、昆布巻き、いくらの瓶詰め、どれも作っているのは皆、中国から来た若い女性たちなんです。
聞けば夫と子どもを本国に残したまま働きに来ているヒトが多いという。
なかには、いよいよ帰国しようとしたら夫に別の女性ができて、そのまま絶望して海に身を投げる女性もいたと聞きました。
「あちこちで自殺だの、窃盗だのといろんな問題が起きてる。いやー、なんだか日本は、おかしなことになってるんだわ」。
淡々と留学生という名のもとに来た外国人の実情を教えてくれた地元のヒトの苦い顔が、なんとも言えず印象的だったのを覚えています。
あれから時代は動いて、外国のヒトたちがこの国で暮らしている風景は、もう当たり前です。
スーパーでは家族で買い物をしているし、売り場でハラルフードを選んでいたりもする。
もう互いに、はにかんだり、距離を測ったりすることはなくなりました。
そこにいるのが自然で、ごく普通のことになっているからです。
この20年ほどのうちに、製造業も、農業も、漁業も、建築現場も、海外のヒトたちがいないと立ちゆかなくなっているのは、もう疑いようのない事実です。
うちはみな日本人ですけど、ボクたちのような飲食業は、日本人だけで回すのはとうに難しくなっています。
外国から来たスタッフが当たり前に働いている。
なんで、こうなってしまったのか突き詰めると、やはり少子化に行き着く。
女性が大学へ進み、自分の人生を自分で選ぼうとし始めれば、どこの国でも出生率は下がっていく。
否定しようのない流れなんです。
MAMEHICOのスタッフもお客さんも、多くが大学を出て、それでいて独身で子供もいません。
現状を保ち、さらには今後の発展を考えれば、労働力は移民で補うしかないんだ、移民受け入れに反対すれば国際競争力に遅れ、日本に優秀なヒトも入ってこなくなって、さらには女性に出産を促すなんて、まったく前時代的で、馬鹿なのか?と。
それに対して、あなたたちこそ、実際に働いてるヒトの気持ちなんてわかってないじゃないか、できるかぎり日本は自分たちの力で回すべきだ。
移民に頼りすぎて取り返しのつかない問題が世界中で起きてるのを知らないのか、馬鹿なのか!?という対立になっています。
この二つの道は、これからも交わらぬまま、どこまでも平行線のままだろうと思います。
「少子化を食い止めるためにも、女性は早く結婚して子どもを産む、そういう選択肢を持つべきだ」、なかなかほんとにそう思いますが、そういう選択肢は今だってあるわけですが選ばないわけです。
いまの価値観のままでは、これに賛同しないだろうなと大学を出た若い女性たちを、たくさん見てて思います。
「だったら技術があるんだから卵子を凍結して、好きな時期に出産できるようにしたほうがいいよね」、ボクはこの考えには賛同しかねますが、それにリアリティを感じるものなのかなとも思うのです。
ただ。大きな組織の後ろ盾なしに働いて生きてくことは大変です。
ボクだって20年前にMAMEHICOを始めましたが、ずっと今日までなかなか大変な毎日を送っています。
だから、議論は議論で大いにしてもらって、そこにボクは水を差す気はないし、気概のある政治家たちは両手を振って応援したいですけど。
日本人だろうが外国人だろうが関係なく、静かに生きているひとりひとりの姿を想像する力というのかな、眼差しというのか。
そういうものをボクは、ずっと持っていたいなと思うのです。

小さな店として始めて二十年。「MAMEHICOの大切にしている10のこと」をご紹介しながら、続けることの意味をお話しします。



