せんだって、桐生の紫香邸で「庭の遠足」というのがありました。
庭には古くて大きなピラカンサスの木があったんです。
冬には真っ赤な実をつけ、それは見事だったんですが。
どうも全体の景色の中で浮いて見えたり、鋭いトゲが枝にあって怪我したりもしたので、思い切って切ることにしたんです。
前回の遠足で幹を倒し、今回はその根を抜いたんですが、それがまぁ、ひと苦労だった。
シャベルカーも借りてあったんだけど、そんなもんで引っこ抜こうとしてもビクともしません。
みんなで寄ってたかって、細い根をノコギリで切ったり、こっちから引っ張ったり、向こうを蹴飛ばしたりしながら、やっとのことで抜き上げたときは、思わず拍手が起きました。
今回の遠足にも、新しいヒトたちがたくさん来てくれました。ありがたいことですね。
特に大学の造園部の学生には色々と助けられました。
ボクにとっては、庭がきれいになるかよりも、そこに集まったヒトたちの素顔を見るのが、ほんとは楽しみなところが正直あるんです。
初めて来たときは緊張していたヒトが、いつのまにか笑って話すようになっていたり、遠慮がちだったヒトが自分から動き出したりする。
その小さな変化が面白い。
ボクは、小さい頃から人一倍、好奇心が強かったんですね。
なにかにつけて「なんで?」「どうして?」と聞いてまわるような子どもだった。
そんなボクがいちばん興味を持ったのが「人間」です。
たとえばお葬式のとき。泣かないヒトもいれば、大泣きしているヒトもいるじゃないですか。
じっと観察してみると、泣かないヒトが悲しくないわけじゃないし、大泣きしているヒトが本当に悲しいとも限らない。
人間って見た目じゃわからない、単純じゃないんだなと。
子ども心に衝撃を受けたのを覚えています。
そういうボクの人間観察好きみたいなものが、MAMEHICOの根っこにあるんですね。
いろんなプロジェクトで新しいメンバーと関わるときも、一面的には見ません。
お行儀がいいヒトだったら、どこかに乱れた部分があるんだろうなと思うし、無口なヒトなら、どこかで饒舌なんだろうと感じたりする。
表の顔よりも、そのヒトが隠している裏側に目が行く。
そういうボクの性分を、母親は「悪趣味だからやめなさい」と言ってました。
けど、こればかりはやめようと思って止められるものじゃありませんね。
だって目がそっちいっちゃうんだから。
ボクはスポーツみたいに勝ち負けがはっきりしている世界に興味が持てないのも、勧善懲悪の物語がどうにも嘘くさく感じるのも、普段接してる生身の人間の複雑さや弱さ、情けなさのほうが、よほど面白いと感じてるからです。
そんなボクは「ヒトを育てるのが上手いですね」と言われることがあります。
ボク自身は「ヒトを育てよう」と思って他人と関わっているわけじゃないんです。
学校の先生なんか、なりたくてもなれないようなタイプです。
そんなボクが「育てるのが上手い」と言われるのは、結局のところ、人間観察が好きで、ヒトをよく見ているからでしょう。
ヒトというのは、自分の内面を見てくれてると感じると、安心するものです。
安心できれば、焦らなくなる、堂々としてられる。
そうなれば、誰だって自分で動き出しますよ。
自分で動き出したヒトは、自然と変わるものでしょう。すべてが自分事なんだから。
誰かに「やらされている」という態度のうちは、どんなに努力したって変わらないものです。
ボクは他人の欠点も無理に直そうとしないんです、めんどくさいから。ただ観察はします。
「このヒトって、なんでできもしないことをいつも引き受けてしまうんだろう」
「なんで自分のことを棚に上げて、ヒトの失敗を笑えるんだろうか」
結局のところ、ボクが「育てるのが上手い」と言われるのは、その副産物みたいなものです。
ボクにとっては、人間観察の延長なんです。
ただ見て、待つ。それだけなんです。

小さな店として始めて二十年。「MAMEHICOの大切にしている10のこと」をご紹介しながら、続けることの意味をお話しします。



